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生きる

――極太の人生観。深刻な中にも忘れないユーモア。そしてラストシーンの意味は何?

妻に先立たれながらも男手一つで息子を育てながら、市役所に30年間まじめに勤務する渡辺課長。ナレーションは主人公の紹介をしながら、この男は「生きているとは言えない」と突き放す。ある日課長は自分が末期癌であることを知り、絶望の淵に突き落とされる。ここから物語が始まる。
(この人のどこが悪いんだ!ごく平凡にまじめに生きる人たちを断罪することに少々異議はある。)

息子に打ち明けようにも言葉が出てこないで、どうでもよい世間話しかできない。
死の淵から逃れようと酒に頼ろうとするが、すぐ吐いてしまって酔うこともできない。見かねた三文文士(死語かも?)が、ゲーテの「ファウスト」に出てくるメフィストを気取り、浮世の快楽の世界へといざなう。注目すべきは制作当時(昭和27年)の、手打ちのパチンコ、キャバレー、バー、ダンスホール、ストリップなどの大衆娯楽が垣間見られることにある。今とは随分違った雰囲気で、映画の主題と離れて楽しめる。

ダンスホールで勧められて歌った「ゴンドラの唄」は、まさに死の淵を見据えた、この世のものとは思えない歌いぶり。目頭が熱くなってくる。すぐさま三文文士は課長を引きずって場を離れようとするが、その時の歌い方は一転して普通のどうしようもない酔っ払いのおっさんだった。その落差が妙に可笑しい。タクシーから飛び降りて吐く課長。あんなに騒いでも虚しさに心が晴れる様子は無かった。(ここは納得)

二日目。部下の女の子にばったり出会う。彼女は辞職届に判を押してほしいと頼む。課長はやむなく家に連れて行くが、出された書類を一目して「書式が違う!」といつものように突き返す。二人が出て行く様子を息子夫婦が見て誤解する。息子は当惑。嫁さんは自分の推理が当たったと思わずニヤリ。(ここはギャグの乱れ打ち)
今度は課長が彼女をいざない、覚え立てのパチンコ、アイススケート、映画、喫茶店へと足を運ぶ。打ち解けた彼女は、職場の上司につけたあだ名を披露する。こいのぼり(中身がないのにお高く止まっている)、なまこ(つかみどころが無い)、どぶ板(365日じめじめしている)、ハエ獲り紙(誰にでもベタベタしている)等、笑点の大喜利を凌ぐ出来栄え。課長に付けたあだ名が、文字通り「ミイラ」。(どぶ板もハエ獲り紙も死語?)

何日も仕事をサボって援交を重ね、ついに課長は彼女に告る(告白する)。
「実はその、つまりその・・・、わしはもう半年の命で・・」(いきなり重い告白だ)
「君はどうして、つまりそんなに輝いているのか・・」「私はただ」「ただ?」「ただ働いて、食べて、それだけよ」
あまりにも平凡な答えに課長はしばし絶望する。
「でも・・・」彼女は工場で作っているオモチャのウサギを見せ、新しい仕事に満足していると答え、「課長さんも何か作ってみたら?」と勧める。課長は雷に打たれたようにウサギを抱え、店を飛び出していく。(脱兎のごとく、これもギャグ?)(店ではちょうど誰かの誕生会があって、「ハッピ・バースディ」の唄が高らかに歌われる)
ここで画面は、いっきに課長の御通夜の場面に切り替わる。スゴイ!お見事!と言いたい。この緩急のつけ方、前半のギャグの細かい積み上げから発し、緊張の山場から後半への急降下。この手法は次回作『七人の侍』でも使われる。

後半の御通夜のシーンは白眉。
嫌味な助役たちが帰った後、渡辺課長がどうして人が変わったように公園作りに励んだのか、その謎をめぐってまことに有益(?)なディスカッションが繰り広げられた。
・市民課の課長が率先して公園を作るのは、本来の役所の機構に合わない。
・助役は次の選挙を見込んで動いた。偶然に過ぎない。
・偶然とは言い切れない。課長の熱意が助役を動かしたとも言える。
・そもそも課長はどうして公園を作ろうとしたのか?
・自分が胃ガンだと知っていた。だからこそ、あれだけ懸命になれたのだ。
・今の役所の機構では、やる気を皆失くしていく。新しい事をしてはいけない機構なのだ。
・しかしこれではいけない、明日からは渡辺課長に続いて頑張ろう! 満場一致の採決。
「ハッピ・バースディ」で生まれ変わった課長への順当な評価と言えよう。
ブランコで一人「楽しそうに、しみじみと」歌ったゴンドラの唄は、いつかのダンスホールの時とまさに好対照。

後日、新体制の市民課が映される。あいかわらず書類の山の中で、新課長はやる気のない様子で書類をたらい回しにする。一人が怒りをあらわにするが、課長にどうしたんだという顔で睨まれると、静々と書類の中に頭を埋めた。
お通夜のあの時の誓いは、一体どうしたのか・・・ 物語はこうして終わる。

人間はわかっていても、なかなか課長のようには生まれ変われない。お役所も会社の機構も同じようなもので、組織の中で個人は埋没してしまう、それへの警告。そうした中で、最期の5ヶ月を本当に「生きた」課長への賛歌。

難を言えば、課長は息子さんとの時間を十分取れなかったのでは、という同情を感じる。薄情な息子という声もあるが、今どきなら普通の息子だと思うし、少し可愛そすぎる。退職金の話を聞かれたり、いきなり若い女を家に連れてきたりで、親子の間は微妙に気まずくなっていた。そして突然の旅立ち。当惑するばかり。親父は何も自分に言ってくれなかった、と。
今のガン告知の制度では息子が全然知らされないということはないだろうけれども。あの5ヶ月を仕事ばかりではなく、息子さんとの和解にも費やすべきだったと思う。でも「わしには時間が無い」というのが現実なんだろう。

[蛇足]
感想としては、ここで終わり。実に良い映画だった。今一度、「生きる」意味をかみしめて見た。
後日、私はこの感動を忘れ、残業でぼやいていて書類の中に埋没している自分にふと気がついた。
あっ! ラストシーンで皮肉ったのは新体制の市民課の人々ではない。
映画に感動しただけで、次の日から日常に埋没してしまった私自身も、あの市民課の人と全く同じで、生きているとは言えないではないか! ラストは映画を見た観客への戒めだったのだ! 黒澤監督恐るべし!
さて、アメリカ版リメイクはどう出る?

監督:黒澤明
出演:志村喬、日守新一、千秋実、藤原釜足、小田切みき、金子信雄
(1952.日本)

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コメント

電影道士さん、「生きる」のレビュー拝見しました。電影道士さんの、この作品への想いがたっぷり伝わってくる内容でした。「生きる」も黒澤らしい細やかさに溢れていて、ストーリーといい、展開といい、優れた一品であることに違いありません。一番最近に見たのが半年以上まえのことなので、細部を覚えていませんが、印象に残っているのは、病院で診察を待っているときに隣に座った患者(渡辺篤)との会話、それから、通夜の席です。特に渡辺篤の演技に感心した記憶があります。それと息子役の金子信夫です。気の弱そうな役をうまく演じていました。後年の金子らしさを髣髴させる演技でした。
再鑑賞してから、改めてレビューしてみたいとおもいます。ありがとうございました。

投稿: mayoeru50 | 2005.03.28 08:42

mayoeru50さん、
コメントとTBありがとうございます。
息子役の金子信夫は、自分を投影して見ているんでしょうね。ついつい同情してしまいました。
他にも中村伸郎、宮口精二、千秋実等等、皆さん、うまいですよね。

「わが青春に悔いなし」はだいぶ前に見たきりなので、今度見るときに参考にさせてください。


投稿: 電影道士 | 2005.03.28 23:56

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