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隠し砦の三悪人

――血沸き肉踊る冒険活劇。でも、何か見逃していないか? 隠し砦に何かがある。

時は戦国。又七、太平のいがみ合いで始まる冒頭は、『スターウォーズ』であまりにも有名。
手柄を立てようといくさに出たが、散々な目に遭って逃げ出した二人。お互いに相手をなじり、隙あればうまい話を独り占めしようとする、強欲のかたまりのような二人。

その二人は偶然拾った薪の中の金塊がきっかけで、六郎太を手伝って金二百貫を運ぶ羽目になる。二人は六郎太が金塊を不正に手に入れたと思ったからだろうか、最後まで隙あれば横取りすることばかり考えていた。もっとも六郎太の正体を知ったところで、彼らに忠義心があるかどうかは疑問であるが。

出発直前、六郎太が妹を雪姫の身代わりとして役人に差し出したことを、雪姫はなじる。「妹を殺して涙一つ流さぬ、その忠義顔! 嫌じゃ!」と言い残し、怒って出て行く。側にいた姥は、そういう姫こそ涙も流さずに六郎太を責めるのは姫のわがままだと嘆く。しかし雪姫はそのあと、山中で人知れず大粒の涙を流して泣くのであった。

親兄弟、味方や主人にさえも騙し、殺しあう、この乱世の時代。
六郎太が妹を犠牲にしてまでも姫を救ったならば、これ程までの忠義心はないはずだ。しかし姫がそこで泣いてしまったら、六郎太の立つ瀬が無い。彼女は領主としてこの非情な選択を受け入れつつ、その無情さに言い得ぬ怒りと悲しみを感じた。だからこそ一人で大泣きしたのだ。16歳の姫にとっては大きな試練である。
はたして忠義心とは何か? そのためにはどんな犠牲も仕方ないのか? 吹っ切れない何かが残る。

このあと、敵中突破の旅が始まるが、予想もつかない皮肉な展開になって行くのが面白い。
姫を見送った忠臣たちは砦に立てこもり、逃げれば逃げられるものの最後まで戦った。その忠義心が却って、敵方に姫はまだ生きているに違いないと確信させてしまうのは皮肉。

途中、雪姫は馬を買う金で人買いから藩下の村娘を買い戻す。お家復興の大儀から見れば、馬を買うべきだったろうが、却ってそれが関所を通る時にカモフラージュとなるのも皮肉。

追っ手をやむなく斬り付ける六郎太。逃げる相手を馬で追いかけるシーンは物凄い迫力。敵陣営に迷い込み、宿敵・百年の知己の田所兵衛との槍の一騎打ち。(今見ると少し間延び)六郎太は勝つが、作法に乗っ取らず、兵衛の首を討たなかった。武士の情け。これも皮肉な伏線となる。

村人が大勢、薪を車で引いてどこかに行く。しめたと思ってついて行くと、敵の計略だったのも皮肉。
全てがこのように、皮肉が続く。福が転じて災いとなり、災いが転じて福となる。でも忠義や大儀のために、良かれと思ってしたことが、裏目に出てしまうのは何やら暗示的である。

火祭りのシーン。『七人の侍』のラストで村人が歌う田植え歌のように、力強さと大らかさが調和した歌。
「人の命は火と燃やせ、虫の命は火に捨てよ、思い思えば闇の夜や、浮世は夢よ、ただ狂え」
火に入る虫に我が身を例え、命をささげて五穀豊穣を願う。そんな意味だろうか。黒澤監督の作詞。

もうすぐで味方の早川の領地だ。という所であえなく捕まってしまう。
首実検に来た兵衛は、六郎太に負けた上に敵に恩義を受けたということで主人にとがめられ、顔中傷だらけ、心までがずたずたになっていた。六郎太を恨む兵衛に雪姫が恫喝!
「人の情けを生かすも殺すも己の器量次第。家来も家来なら主も主じゃ。」

この時、姫は十分に忠義の意味を理解したのだろう。
忠義の一かけらもない又七と太平。
人の情けもわからずに、ただ忠臣を人前でののしる主人。
そして姫を助けたい一心で最後まで自分が姫だと言い張る村娘。
彼女の言葉にきっと犠牲となった六郎太の妹の顔が重なったことだろう。

見せ掛けの忠義、形ばかりの忠義、自分の心を偽ってまで尽くす忠義ではなく、本心からの忠義、人の情けを生かす忠義があるはずだと。そして領主はそれに誠意を持って答えなければならないと。
明日に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。
ここで初めて雪姫は忠臣六郎太に礼を言い、あの火祭りの歌を歌う。辞世の歌として。

翌朝。馬数頭の背中に金塊、金塊、金塊、縛られた雪姫、そして六郎太。
兵衛が難しい顔をして座って見ている。
出発の合図に、姫と六郎太は後ろを振り向く。関所の向こうは味方の早川の領地。兵衛がはっと気づくと、すっと立ち上がり、あの火祭りの歌を歌う。
「ようし!燃やすぞ!」馬の向きを変えさせると、早川領に向けて馬を逃がす。
六郎太は村娘を軽々しくすくい上げるが、姫は「犬死は無用!」の一言で兵衛をすくい上げてしまうのは、もっとすごい。「裏切り御免!」は、形だけの忠義関係だった主人への決別の意思なのだ。

私はこの兵衛が歌いだすシーンが、思い出し泣きするほど大好きである。
火祭りの歌が、村人から雪姫へ、そして兵衛へとリレーする。
「人の命は火と燃やせ」という歌は、死ぬことでありながら、実は生きることを限りなく賛美している。
こうして見ると、隠し砦には「忠義とは何ぞや――人の情けに報いることなり」「死ぬとは何ぞや――生きることなり」といった禅問答が隠されているように思えるのだ。何気ないセリフの中には、見事な金塊が隠されていたんだ。

では最後に雪姫から一言。
「せっかくの冒険活劇を説教話にしてしまう、その忠義顔! 嫌じゃ!」

監督:黒澤明
出演:三船敏郎 上原美佐  千秋実   藤原釜足  藤田進
(1958、日本)

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コメント

電影道士さん、ごぶさたしています。
相変わらず、古い映画を中心に鑑賞だけはたっぷりしているのですが、なかなか落ちついて書く時間がなくて、レビューの更新が滞っております。
さて、「隠し砦の三悪人」のレビュー、拝見しました。
実に丹念に書いておられ、「お見事!」と唸ってしまいました。
この映画の本質をうまく表現されておられます。電影道士さんのレビューを拝見して、改めて本作を見直さなくてはとおもったほどです。
本作を黒澤映画のベスト5に選定した者として、電影道士さんのレビューは嬉しい限りです。
このあと、自分は何を書けばいいのか……。

投稿: mayoeru50 | 2005.07.15 05:39

mayoeru50さん、早速のコメントありがとうございました。
わかってもらえる方にわかってもらえて、しかも最大級のお褒めの言葉をいただき、たいへんうれしいです。
でもレビューは所詮レビューですし、断片的ですし、まだまだ語りつくせない感じです。

『スターウォーズ』も面白いとは思いますが、『隠し砦』はそのついでで語られる程度の作品ではありませんよね。
それをどう伝えたらいいか、私も正直たいへん悩みました。
黒澤作品は特に見るたびにいろいろな発見がありますし、まだまだ違った見方ができると思います。

とは言うものの私も、mayoeru50さんのレビューを拝見した後は、もう書くこと無いな~という感じがします。
私はあと『椿三十郎』と『赤ひげ』を予定しています。『七人の侍』は最後ですね。でもしばらく、体力の回復を待たないと何も書けそうにありません。

投稿: 電影道士 | 2005.07.16 00:34

仰るとおり、黒澤明の作品は、ひと口では語りきれない深さを秘めているとおもいます。
黒澤作品は、その奥行きの深さや、可能性の大きさがなかなか理解されないことが多く、ファンとしてそれが残念です。
例えば、小津安二郎との対比において、完成度の低さや模倣性を揶揄されることが多い(小津の作品もそれなりに気に入っていますが……)。
黒澤の作品には、小津にない、ギラギラした燃えるようなものを強く感じます。それは、作品で三船敏郎が演じる登場人物そのものと言ってよいかもしれません。
黒澤の映画に対する情熱や執念がどれほどのものであったのか、それは作品が物語っているはずです。
その黒澤の情熱や執念を、違う切り口、新しい切り口でレビューできれば幸せです。
今後も電影道士さんのレビューを楽しみにしています。

投稿: mayoeru50 | 2005.07.16 17:58

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ようやく「隠し砦の三悪人」を見直した。 このブログでも触れたことがあるのだが、この作品は、太平・又七の百姓コンビが巻き込まれる冒険活劇だ。 本作が公開された1958年頃といえば、時代劇が頂点を極めていた時代であろう。むろん時代劇だけではなく、日本映画自体に活力がみなぎっていた時代ともいえる。 その当時のことに触れるのが目的ではないのでこれくらいにしておくが、いずれにせよ、時代劇がもっとも華やかな時代に、本作が異色の時代劇作品であったことはまちがいない。 そもそも、戦乱の戦国時代を舞台にして、... [続きを読む]

受信: 2005.08.17 22:51

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