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無極(プロミス)

――だますなら最後までだまし続けること、それが大人のマナー? 神様とのご契約は計画的に。この映画は「真実の愛」を求めて止まない、恋愛に臆病な貴女へのメッセージ。

CG使いまくり、派手な色彩とオーバーアクション、真田さんの生中国語に脱帽するものの、突っ込みどころ満載の映画である。しかしその語ろうとするところは実に深遠である。
戦乱の世、生きる術を持たず、ただ一つの饅頭(マントウ)を必死に母に届けようとする幼い少女「傾城」。途中少年に取り上げられるが、奴隷になると言って騙し、饅頭を取り返して逃げる。そんな彼女に運命の女神「満神」は、「世の男性の寵愛と何不自由の無い生活をあげましょう。ただし真実の愛を得ることはできない。それでもいい?」と尋ねる。傾城は「それでもいい」と答え、「プロミス(契約)」は成立する。しかし「真実の愛」とは何か? 幼い傾城は「契約内容をよくご確認」したのだろうか?

ここで満神は「世の男性の寵愛」は「真実の愛」ではないことを宣言している。もちろん21世紀に生きる私に異論は無いのだが、「愛」の形は時代によって様々であるわけだし、例えば傾城の美女楊貴妃が受けたような「ご寵愛」こそがこの時代の最大の「愛」だとしても不思議ではない。「傾城」と言う言葉は、国王が寵愛しすぎて政治を軽んじて国や城を傾けてしまう、という故事から来ている。今風で言えば「さげまん」であろう。

20年後、傾城は王様の寵愛を一身に受けていたはずだが、敵に囲まれた王様は彼女を差し出す。寵愛を受けていても傾城は王様に心を許すことが無かったのかもしれない。心を許せば、王様を失う事を彼女は知っていたからか? もう二人の関係は破綻していたに違いない。そこへ華鎧を着た将軍(白馬の王子?)が現れ、本当は助けるはずの王様を殺して、傾城を連れ去る。満神が仕組んだ運命通りだが、彼もまた一目見て傾城の虜(とりこ)になってしまったようだ。追っ手に阻まれた将軍は、彼女に「何があっても生き抜け!」(謝晋監督『芙蓉鎮』の名ゼリフを思い出す)と言い残して、滝に飛び込む。

華鎧はもともとは無敗の将軍「光明」が着ていたものだが、彼は王様を助けに行く途中、大怪我を負ってしまう。やむなく奴隷の「昆崙」に着させて代わりに王様を助けに行かせるが、昆崙は大変な命令違反をしてしまう訳だ。おかげで光明は王殺しの汚名を着せられてしまう、ってか。

光明は再び昆崙に傾城を助けるように命じ、見事奪還に成功する。部下の手柄は上司の手柄。光明は当然のように昆崙から傾城を奪い、愛し始める。傾城は自分を王様から救った「華鎧の将軍」に運命的なものを感じるものの、どちらにせよ「真実の愛」を得ることはできないと悟り、彼の元から立ち去る。どうせすぐ戻るだろうとタカをくくっていた光明だが、失った愛の大きさを知り、号泣する。見かねた昆崙は光明を連れて傾城を追いかける。追いついた光明は彼女を強く抱きしめるのだが、それを遠目に見ていた昆崙は、叶わぬ愛を知るのだった。

光明と傾城の蜜月の生活が始まった。傾城は身も心も光明に捧げ、今度こそ「真実の愛」を得たのだった。しかし契約通り、長くは続かなかった。光明も傾城も捕らえられ、王殺しの裁判が始まる。そして最初に彼女を助けた「華鎧の将軍」は実は昆崙だったと知らされる。これは大きな衝撃のはずだ。 「真実の愛」は破局を迎えた。

光明は最初からだまそうとした訳ではなく、彼女が「華鎧の将軍」が光明だと勘違いして愛情が進展していったのだ。光明は途中で気づいたが言いそびれてしまう。恋愛が誤解で始まることはままあると思うが、それならばたとえ王殺しの罪を受けても、うそを貫き通せばよかったのに・・・だますなら最後までだまし続けること、それが大人のマナー?

一方昆崙は彼女への思いを最後まで告げずに自分の心の奥にしまい続ける、忍ぶ愛、プラトニックな愛。これも本当の愛なのだろうか? 愛しているならば、なぜ彼女を奪わなかったのか? 愛情にまで主君に義理立てするのは仕方なかったのか?(まさに奴隷根性!)

はたして傾城が本当に愛したのは自分を愛してくれた光明だったのか、自分の運命を変えてくれた昆崙だったのか? 実はそのどちらでもないのかもしれない。傾城は「契約」のためにずっとどんなに愛されても自分からは愛せない、「真実の愛」に近づけないと信じていた。恋に臆病な「恋愛恐怖症」患者、「真実の愛」という言葉の奴隷だったと思う。

最後に昆崙は絶命寸前に黒衣をまとい、彼女を時空の果てへと連れて行く。満神との「契約」では、時間を遡れれば「真実の愛」を得られると解釈できる。確かにそうだろう。しかしこのあとどうなるのだろう? 死んだ光明とも、人間を捨てた昆崙とも愛を結ぶことはできない。それは第3の愛かもしれないし、時空を越えた永遠の愛かもしれない。しかしなぜか悲しい。

満神はなんでこんな馬鹿げた契約を傾城と結んだのか? 何の意味があるのか? そう『デスノート』の死神リュークと同様に、退屈だったので人間界にちょっかいを出して運命をもてあそんでいるとしか思えない。

はたして「真実の愛」とは何か? 
自分が愛したい人を愛すること?
今ここにいる人は本当に愛したい人?
人は人を本当には愛せないのでは?
なんて考えると我々が「真実の愛」を得るのは未来永劫無理なのかもしれない?
それでも「馬鹿ばかり言わないで、たまには美味しいもの食べに行かない?」という「ごく平凡な愛」は欲しいのである。

監督:チェン・カイコー
出演:真田広之、チャン・ドンゴン、ニコラス・ツェー、
    セシリア・チャン、リィウ・イェ
(2006年.中国)

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監督は違っても「HERO」、「LOVERS」の流れを汲む武侠映画だと思ってました。ど派手な「華鎧」を着た光明(真田広之)が出て来たときは期待度がグッと上がったのですが・・・ 四つんばいの奴隷・昆崙(チャン・ドンゴン)が走り出したあたりから、どちらかと言うと「カンフー・ハッスル」系だったんですね。真面目な顔して映像はおちゃらけなんで、バカさ加減を楽しめないと辛いでしょうね。 【ネタバレです】 「この世のすべての男からの寵愛と、不自由ない生活を約束しましょう。その代わり、お前は決して真実の... [続きを読む]

受信: 2007.01.20 23:16

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