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20世紀少年 第2章 最後の希望

――豪華キャスト、バーチャルワールドの深まる謎、テンポよく進むストーリー。のはずが裏目に出て、登場人物が多すぎ、バーチャルの意味不明、詰め込み過ぎで感情移入できないまま終わるモヤモヤ感。オッチョは少し出過ぎ、ここはカンナが主役だよ。(ネタバレ警告)

漫画の「20世紀少年」は読んでいなかったが、映画の第1章を先に見て、これはやはり原作も見ない訳にいかないと思った。
そこに描かれている1970年代の雰囲気やディテールは、浦沢氏と同世代だから面白いほどよくわかる。原っぱの秘密基地、アポロ11号の月面着陸、そして進歩と調和の大阪万博。懐かしいキーワードのオンパレード。ドンキーに追いかけられるシーンで出てくる町中の板塀や、ちらっと見えた?アース製薬のホーロー看板。世界の地名づくしのスナックやハレンチな映画ポスター、当たりの出ない駄菓子屋、学校の理科室などなど。その後の超能力ブームも懐かしいが、世紀末にあちこちで起きたカルト事件はまだ記憶に新しい。リアルというか、嫌な生々しさを感じてしまう。これが漫画をずっと敬遠していた理由である。(注1)

第1章でロッカー人生に挫折して平凡な毎日を繰り返すケンヂが事件に巻き込まれ、追い詰められて、ついに戦いを決意するくだり。押入れのギターを引っ張り出し、がむしゃらにかき鳴らす。今一つ迫力に欠けたかな。でもケンヂの呼びかけに応じて、下水溝の第2の秘密基地に一人また一人と集まるところはいい。最後にユキジが「七人よ!」黒澤だね。続きを期待できた。(注2)

第2章はケンヂ無きあと、原っぱの仲間たちそれぞれが、ケンヂの意志を継いでレジスタンス活動を展開する。しかし圧倒的な支配力を持つ「ともだち」のために歴史は捏造され、勇士はみんなテロリストの汚名を着せられて、あまりにも無力だった。オッチョしかり、ヨシツネも。マルオの決死のシーンも見せて欲しかった。

高校生になったカンナも、歴史の授業中にケンヂおじちゃんの汚名を晴らそうと抵抗するがどうする事もできず、ただただ涙を流す。そういう彼女がおじちゃんの言葉を思い出し、勇気を出して戦いを決意する場面があったかどうか、印象にない。彼女はスプーン曲げや(映画では無かった)カジノで見せた特殊能力だけではなく、もっと神がかりな、人を圧倒し、何かを期待させるカリスマ的な力を持っていた(注3)。カンナが本気になると大きな瞳がさらにカッと見開く。マフィアの親分二人を和解させてラーメンを食べさせるだけではなく、あのカジノの緊迫した場面でカッと見開く瞳をぜひ映像化して欲しかった。ここまで書けば漫画をみたくなるであろう(^^♪

だから教会の場面も原作通りに、ローマ法王殺害を絶対に阻止して見せる!というカンナの強い意志を打ち出すべきだったのだ。彼女が救世主としてきっと事態を打破してくれる!そう信じられるように。そうすれば「しんよげんの書」の言葉に俄然説得力が出てくる。そしてホクロの警官登場で絶体絶命のピンチ。緊張の極致。そこにオッチョ乱入!「カンナは俺達の最後の希望だ!」
ここを前半の山場にすべきだった! この画像がネットに山ほどあふれているのを見るとつくづく惜しいと思う。オッチョは少し出過ぎ。脱走して万博会場を見て唖然とするあたりで止めておき、あとでいきなり乱入シーンの方が盛り上がる。

芸達者な俳優陣。響子も高須も春波夫もオーバーアクションだけど、うまく漫画の不気味な雰囲気を醸し出している。しかしこうした演技が空回りして見えるのは、話の展開が速くて見る方に感情移入する余裕が無いからでは?
カンナが母キリコの告白ビデオを見たり、「ともだち」との関係を聞かされたりした時は、精神的にかなりショックだったはずなのに、それがうまく伝わって来ない。原作通り「ともだち」の事は車中で聞かされて、ショックで車を事故らせてしまう方がわかり易い。こうした事実がカンナを苦しませ、その後の行動に影を落とすことになる訳だから。

バーチャルワールドについて言えば、そもそも響子がバーチャル世界で見たことは、1970年代にあった現実そのものなのだろうか?
昨今の最新技術は、脳で考えた記号を画像化するのに成功したようだ。しかし「ともだち」の考えている事や過去の記憶をリアルに再現しても、それがそのまま真実とは言えまい。脳は自分に都合のいいように記憶を捏造し、あるいは封印させてしまうようだから。そもそも反体制的な人間に「ともだち」のインチキな「真実」を追体験させて洗脳するのが目的のマシンであるはずだ。なのにバーチャル世界の中にさも本当の「真実」があるような設定は無理があると思う。原作でも何を意味しているのか、わからなかった。

もしこのマシンが「ともだち」自身も気付いていない深層心理やエゴ――抑圧された少年時代のいろいろな心の傷跡――をも、えぐり出して見せてしまうとしたら、これは確かに恐ろしい事だ。善人の私電影道士でさえも、自分の意識の底にうごめく悪魔な自分を見たくは無い。いわんや悪人をや。である。これでは響子の目玉が、どんだけー飛び出してもおかしくはないだろう。

原作以上の結末を期待はできないが、いろいろな意味で決着が着く最終章を見るしかないか。しかし良い意味で、どうか映画の最後の最後で観客を裏切って欲しい。ケンヂがコンサートでそうしたように。

(注1)原っぱの秘密基地は懐かしい。私もやりました。「三丁目の夕日」は妙に懐かしいけれど、少し前の時代。こちらの映画こそが我が少年時代である。コリンズが可哀想だとか、万博に行きたかったみたいな思いは、みんなに共通だったのか。
(注2)侍が七人というのもそうだし、若侍の無謀な企てに加わった椿三十郎の「十人だ!」を思い出す。
(注3)猪熊柔と同じなんだ。我々に何かを期待させてくれるのも。戦いをためらってしまうところも。「YAWARA!」は別項目で是非書きたいと思っているが、「21世紀少年」でヤマさんがチョーさんについて語るところに原作者の想いが集約される。これはカンナや柔に対しても言える。カリスマという言葉は陳腐化してしまった。何かいい言い方がないものか。

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