生きる(リメイク版・含比較)

――二時間ヒューマン・ドキュメンタリーならば文句なし。でもたとえパロディーでも良いから松本幸四郎に柳沢教授風に演じて欲しかったなぁ~

松本幸四郎と言えば大河ドラマ『黄金の日日』で主人公助左衛門を演じた。乱世に生き、自分の信念を貫き、夢を追い続けた情熱的な人である。
私の好きなドラマだが、レビューがまだ書けない…
しかしまるで『生きる』の渡辺とは正反対のキャラである。

『天才柳沢教授の生活』では、本人は至って大真面目な大学教授なのに、いろいろ事件を巻き起こし(?)、くすくすと笑いを誘う。時間には几帳面で、道も必ずまっすぐ歩き、曲がり角は必ず直角に曲がって歩く。好奇心旺盛という意味では情熱的とも言えるが、真面目さと可笑しさのギャップはこの方の持ち味なんだろう。このキャラで行くのかな? 私は少し期待した。

黒澤オリジナル『生きる』については、すでに全てを書き尽くした。あとはもう自分にその時が来ない限り、新たな感想は出そうも無い。だから今回はリメイク版との簡単な比較でお茶を濁したい。

しかしながらリメイク版は、最初から最後まで真面目に撮り過ぎだ。まるでシリアスな密着ドキュメンタリーのように、カメラが付きっ切りで撮っている感じ。一人称。見る側も心に余裕が無く、主人公勘治につき合わされている。
オリジナルはその点、ブラックユーモア満載。息子夫婦とのやり取りも、大真面目なのに間が抜けていて可笑しい。鬼嫁でさえも単なる我利我利亡者ではなく、義父と寄り添う?若い娘を見て、皮肉な顔をしてニヤリとする。
そうこれこそが柳沢教授的生活。
勘治が深刻になればなるほど、不謹慎だけどフッと笑みがこぼれてしまう。

メフィストを「三文文士(死語)」でなく、息子と同世代の男にしたのは素晴らしい。
一晩で一生分の快楽を味わせて差し上げましょう!
おぉ~このセリフ、なかなかグッときますね。
彼との一夜の思い出は、叶わなかった実の息子光男とのバーチャルな一夜。羽目をはずす柳沢教授、じゃなくて勘治をもっともっと見たかったね。メフィストは自分の死んだ親父を思い出していたと言うが、勘治は息子の事を少しでも思い出したりはしなかったのだろうか?

「老いらくの恋」なんて死語ではなくずばり「援交」。上役のあだ名がミイラしか出なかったが、本当はもっといろいろなあだ名があった。まぁ仕方ないか、死語のオンパレードだから。勘治が立ち直るきっかけとなった犬の縫いぐるみだが、やはりここはウサギでないとギャグにならないだろう。

お通夜のシーン。名場面なのだが、芸達者な役者を揃えた。みんなうまいね。
なのに後日談はよくない。
新体制の市民課。やる気の無いみんなに対してユースケが一瞬でいいからガツンと怒って欲しかった。書類の山に埋もれるシーンもない。

ラストの助役の選挙カーにあの娘がウグイス嬢をやっている。
子犬を作るのが楽しいと言った彼女は、どこに消えてしまったのか…
黒澤がラストシーンで投げかけた謎掛けは、どこに消えてしまったのか…

演出: 藤田明二
出演: 松本幸四郎、深田恭子、北村一輝、ユースケ・サンタマリア、小野武彦、岸部一徳
製作:テレビ朝日(2007)

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生きる(黒澤明.1952)

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天国と地獄(リメイク版・含比較)

――時代を経ても色褪せない黒澤オリジナル版の凄さを改めて感じる。忠実で丁寧に作り上げたリメイク版は善戦したが、犯人や警部たちの人物像にもっと現代的解釈があってもよかった気がする。

一介の黒澤ファンにとって、リメイクなんて見たくないのが本音。
せっかくの思い入れが壊されてしまう気がするし、両者を比べてやっぱりオリジナルの方がよかったと思うくらいなら、見ないほうがましだと。
しかしリメイクを見て壊されてしまう思い入れなんて、しょせんそんな程度のもの。比べて見るなというのは無理だが、なるほどそう来たか!という比較は結構楽しい。オリジナル版で見落としていた発見があったりもする。

佐藤浩市の権藤金吾は実によかった。設定やセリフはほぼオリジナル通り。三船の荒々しい権藤さんに比べると、佐藤のそれは少しナイーブかもしれない。しかし張り詰めた緊張感の中で、会社を選ぶか人命を選ぶか苦悩する姿を迫真の演技で見せてくれた。

一介の靴職人からのたたき上げ(死語?)で、役員の地位まで登り詰めた苦労人。理想の靴を作りたいという職人気質は、他の役員には疎ましい。頑固さも親父さん(社長)以上。海千山千の古だぬき役員に対して先手を仕掛ける知恵と度胸。その度胸とは裏腹に苦労人だからこそお金の尊さを体で知っている訳だし、奥さんのまたやり直せばいいという説得に反発もする。だからこそ降って湧いたこの事件に自分の全てを問われて苦しめられる。

テレビ朝日のHPでは44歳(10歳の子供がいるのだから30過ぎで結婚した勘定)の設定だが、10歳くらい上のほうがよかった。その方が一人で苦労して来た時間がその分長く、奥さんとの心理的な距離も納得する。47歳佐藤浩市なら十分できたはず(三船が当時43歳で演じていたとは大発見)。

部下川西が裏切ったのは、今まで強くて非情な?権藤が始めて見せた戸惑いに、自分の生涯を賭ける自信を無くしたからだろう。彼の非情さは権藤譲りかもしれない。そうだと佐藤では説得力に欠けるが、三船だと妙に納得する。
運転手青木がペコペコするのを、三船は毛嫌いするが、佐藤はああいうのに弱いと言う。権藤も下積み時代きっと嫌々ながらもペコペコしていたのだろう。三船はそんな自分を見ているようで嫌いなのだろうが、佐藤は同情的に見ている。こうした二人の微妙な違いが最後にどう反映されるのか、楽しみになってきた。

権藤が苦悩の末、身代金を出す事を決めて、銀行に電話をする場面。
古い道具箱を開け、鞄に仕掛けをしながら「最初から出直しだ」と言う場面。
列車の中で身代金を渡す際に戸倉に、子供を良く見てください、と言われ、「大丈夫だ!俺の命と引き換えるんだ!間違えるもんか!」と答える場面。
ああいうのに弱い。ナイーブな私はつい涙目になってしまった。
子供と抱き合う権藤を見て、戸倉が同情と尊敬の念をもって言う。
「あの人のためにも、みんなそれこそ犬になって犯人を追うんだ!」
第2部の始まり、主人公の交代である。

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変身

――人には誰しも心を奪われる美しい瞬間もあれば、果てしなく絶望的な時間もある。しかし自分が自分である事にもっと感謝しなければ・・・

純一は絵を描くのが好きな一人の平凡な工員。毎週通う画材屋の店員恵にいつしか恋心を抱き始める。そんなある日思い切って恵を誘って美しい湖に出かけ、そこをバックに彼女の絵を描き始めるのだが・・・

東野圭吾同名原作のこのタイトルがなければ、間違いなく恋愛映画と思って見続けることだろう。もうとっくに忘れてしまったあの感覚を主人公に重ね合わせるのは少々辛いが、美しい大自然を背にした二人の語らいに思わず引き込まれてしまう。

画面は急転。深い眠りから目を覚ました純一は、白い壁に囲まれた無機質な部屋のベッドの上に横たわる自分を知る。この見事なコントラスト!一人の年老いた医師がやって来て、君は九死に一生を得たのだと語る。しかしいったい何が起きたのか純一は全く覚えておらず、教えてもくれなかった。

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ALWAYS 三丁目の夕日

――高度成長への限りない希望が信じられた30年代、故郷に帰ったような懐かしさと違和感を絶妙に閉じ込めた真空パックの三丁目。

まずは薬師丸ひろ子演じる肝っ玉母さんに拍手喝采! 鈴木モーターズ社長のお父さんを立てながら、しっかり一家を支えている。母親役があまりにもはまり過ぎて、あの往年の『野性の証明』『戦国自衛隊』の少女時代が遠い昔だった事に驚かされる。(失礼!)

そして茶川龍之介の吉岡秀隆。彼は何をやっても吉岡秀隆にしか見えないが、りっぱにインテリくずれ?の青年を演じていた。しかも子供を押し付けられて困り果てる様や、笑わせて泣かせる技は見事に昭和喜劇の王道を歩んでいる(笑いのネタが古くて、わかりやすいが、私は嫌いではない)。逝去10年になる渥美清がもしいたら、面白い絵になりそう。しかし満男もいい親父になったなぁ。(こりゃまた失礼!)

昭和の名子役に負けない演技を披露したのが、須賀健太と小清水一揮の二人。特に古行淳之介の須賀健太は、あの健気な目だけで喜びや悲しさの全てを表現しつくす。茶川を尊敬するまなざし、自分のアイデアが雑誌に載った喜び、後味の悪い母との出会い、クリスマス・プレゼント、そして茶川との別れ・・・その素朴で、素直で、純粋な感情表現に、たいていの大人たちは思わず涙。君は本当に平成生まれなのか?

こうした新旧名子役に加え、堤真一の達者な芸や、堀北真希のさわやかさ、三浦友和の渋さが加わり、妙に懐かしく、しかし実際はあまりよく覚えていない(あるいは全く知らない)はずの昭和30年代が不思議によみがえってくる。これが日本人のDNAに刻み込まれた下町の原風景なのか? そういえば寅さんとタコ社長もそうだが、下町ってお隣同士で喧嘩ばかりしているんだね。

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デスノート(前編)

――「人間って面白!」とさえ死神に言わせる「正義」VS「正義」の壮絶な戦い! でも「正義」って何か?  なんで名前と顔なのか?

退屈(で死にそうな?)な死神が人間界に落としたデスノート。
偶然拾った成績優秀な高校生夜神月(やがみライト)。彼は犯罪者のいない理想的な社会を作るために、彼らを次々と殺していく。やがて世界は騒ぎ出し、謎の殺人者は影の救世主キラとして一部の人間から信仰される。一方世界の警察組織の影の存在、名探偵L(エル)が宣戦布告を。天才VS天才、影VS影の神がかりな頭脳戦が始まった。

新聞の映画欄を見るまで、こんなすごいコミックがあったなんて知らなんだ! 試しに1巻手にした途端、あっと言う間の11巻。最終12巻が待ち遠しい。映画化は無理かなと思ったが、あの平成ガメラシリーズの金子修二監督ならばと思い、久々に映画館へ。
冷静沈着な藤原竜也のライトもよかったが、不思議な松山ケンイチのL、颯爽とした鹿賀丈史の夜神本部長、品性あふれるおひょいさん藤村俊二のワタリ、そしてキモかわいい?リューク。みんな原作からすっーと抜け出したようで、ビミョーにいい感じ。うまいキャスティング。

映画のオリジナルで面白かったのが、法学生であるライトが人間が作った法では犯罪を止められないと悟り、「六法全書」を投げ捨ててデスノートを拾う、ベタでわかりやすいシーン。授業で使う「六法全書」はハンディ版だろうけれど、正式版は分厚くて投げ捨てられないだろうね。人間社会の秩序の集大成である「六法全書」は結構重いのだ。

後半活躍するのがFBI捜査官レイ(仮面ライダーに変身できず無念の細川茂樹)の恋人ナオミ(瀬戸朝香)である。元Lの部下でもあった彼女が、推論を重ねたあげく命懸けでキラに近づいていく。ここがこの『前編』のクライマックス。未見の方のために書かないが、2つだけ。絶体絶命のキラが、ペンを取り出そうとするが、あれはおかしい! というのは、もしキラが******ならば、******なはずがないから。また****まで殺すのはキラの「正義」の信念と矛盾している気もする。

でもまだまだ『前編』は小手調べ。キラとLとの本当の戦いは10月公開の『後編』から。お楽しみはこれからだ。

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事件

――シンプルな題名に隠された「事件」のドロドロとした人間模様と裁判制度への鋭い視点。

 東京近郊の静かな町の山林で、女性の刺殺死体が発見される。スナック経営のハツ子(24)(松坂慶子)だった。幼なじみの工員上田宏(19)(永島敏行)が逮捕されるが、彼はハツ子の妹ヨシ子(19)(大竹しのぶ)と同棲しており、ヨシ子は妊娠していた。宏は殺人を認めているものの、記憶もあいまいだった。公判が進むに連れて、ハツ子のヒモ、宮内(渡瀬恒彦)が登場、被害者の過去がしだいに明るみに・・・。
検事官(芦田伸介)と弁護人(丹波哲郎)の火花飛び散る法廷合戦、そして中央にドンとすわる重厚な裁判長(佐分利信) 。これだけのキャスティングで面白くないはずはない!
でもそれだけではない・・・
 

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亡国のイージス

――亡国への憂いがテーマなのに肝心の「国家」論が無い。甘いテロ対策への警鐘で終わってしまった。

あの膨大な原作を読まずに、映画館での上映があと数日で終わるギリギリに駆け込んだ。どなたかが「小説の総集編」と言うように、原作を見ないと意味不明のシーンが多いが、結局読んでもわからない部分もあった。冒頭の交通事故や通夜のシーン?はほとんど記憶にない。先任伍長が町でケンカをした部下たちのために警察に土下座する。「こいつらを勘弁してやってください。」みたいな事を言ったけど、これでは『ごくせん』のヤンクミだ。如月行のずば抜けた運動神経と、伍長の「ぶざまでもいいから生き抜け!」という人生哲学を物語る大事な場面。浪花節。しかしこれって、もみ消しだろう?少し部下に甘くないか?

溝口らFTGのメンバーが乗り込んで「いそかぜ」が運命の出航をする。夜の甲板の場面で如月が無口で芸術家タイプなのは理解できたが、20歳そこそこの青年が暗い過去と重い任務を背負った特別な存在だとわからせるには演技だけでは難しいね。その彼が唐突に事件を起こす。小説では事件の背景や人物像等が好き放題書いていたけれど、映画では意外とあっさり大事件が発生する。伍長にとって全てが唐突なのだ。訳のわからぬまま捕獲され、主犯格が正体を現わすと、ここからようやくテンポのいい展開になる。絶対絶命の条件下でどうやって乗っ取られた艦を取り返すか?入り組んだイージス艦の内部を縦横無尽に動き回り、まさに最新機器で囲まれたジャングルの中でゲリラ戦が展開される。いいぞ頑張れ真田さん!

『沈黙の戦艦』『ダイ・ハード』『ザ・ロック』等、冷血無慈悲な悪玉テロリストとの戦闘映画は枚挙にいとまがない。しかしこうしたテロリスト集団が相手ならともかくも、同僚の自衛官を相手の奮闘は伍長も煮え切らない。奪われた母艦を取り戻すため、首都東京の住民を守るためなのだが、そもそもどうして彼らは謀反を起こしたのか?政府への要求で一応の説明はついたものの疑問は残る。子息の内部告発文章と事故死に見せかけた暗殺、隠蔽された化学兵器事故について公表せよと言うが、こうしたみそぎを済ませれば単純に全て解決するのだろうか? 寺尾さんの『半落ち』のイメージが強い。いい人だけれど家族を大切にするために組織や社会を裏切る。その切なさと決意は伝わるが、どうも私憤の域を出ないと思われる。肝心のテーマであるはずの亡国への憂いとか理想の実現とかが小説でさえもきちんと描ききれていない。ヨンファも憂国の士のはずなのに、映画では「これが戦争だ!」と叫ぶだけの単純なテロリストだったし、小説でも妹の死を契機に凶悪な復讐鬼に成り下がっている。

人は何のために戦うのか? たとえば、先任伍長が奪われた母艦を取り戻すため、あるいは首都東京の罪もない一千万の命を守るため、あるいは大切な家族や友人を守るため。その気持ちが尊いことに間違いはない。その延長に祖国愛があってもいい。しかし「国家」とは常に守られるべき弱き存在ではない。時として戦争が始まれば「国家」の名の下に人々は徴集され、残酷な破壊活動に駆り出され、やがて首謀者の意図や制御を振り切って、相互の破滅へと突き進むこともある。ちょうどヨンファ亡き後も制御を失って東京へと突き進む「いそかぜ」のように。この映画に限らず、最近の戦争映画は、守るべき「国家」ばかりが強調しすぎるきらいがある。

『ザ・ロック』のニコラス刑事の時はもう少しスマートだったが、先任伍長はぼろぼろの体を引きづり、仰向けになって手旗信号で監視衛星に爆撃中止の合図を送る。最後の一か八かの賭けである。衛星からはコミカルな動きで、彼の必死の形相が見えてこない。でも「ぶざまでもいいから生き抜け!」という伍長の信念に私は泣けた。(防衛庁情報局ダイスの渥美さん、手旗信号くらい、すぐに解読しなさい)

最悪のシナリオは免れたものの、政府は東京湾に沈んだ「いそかぜ事件」を「無事に」隠蔽できたのだろうか?だとしたら艦長らが命がけで提起した命題は再び闇に葬られたことになる。ダイスは存続できるのか?そもそも事件の種を作り、情報を事前に入手したにもかかわらず、如月一人を送るだけで事件を阻止できなかった責任は重いと思う。不思議だったのは、化学兵器を盗まれた某国が表に一切出ようとしないこと。小説では日本に責任をなすりつける記述があったものの、腑に落ちない。違法な武器開発は他の国が指摘すれば大きな国際問題に発展し、両国のトップが辞任するだけでは済まないはずなのに後日談にそんな記述も懸念もない。要するに亡国への憂いがテーマなのに肝心の「国家」論が無い。結局甘いテロ対策への警鐘で終わってしまった。

監督: 阪本順治
原作: 福井晴敏
出演: 真田広之、寺尾聰、佐藤浩市、中井貴一、勝地涼
(2005.日本)

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女王の教室

――「世界一受けたい授業」に続きまして、真矢コングの入場です!

おい!世の中のちゃらちゃらした小学生や親たち!
今日はお前らに言いたいことがある! よーく聞け!

一つ、勉強なんてしなくったって、世の中は生きていけるんだよって言う小学生。
生きていける?はぁ?
幸せになれる人は競争社会に勝ち抜いてきた6%の人間だけなんだよ。
あとの残りは、その人のために苦労して働いて税金納めて生きていくんだよ~このヤロ~

一つ、子供達の自主性を育てたい、自由が大事なんですって言う親や教師。
自主性?自由?はぁ?
だいたい世の中にはルールっていうもんがあるんだよ。ルールを無視する奴に自主性とか自由とかを与えるから、よけいルールが守られないんじゃねぇか~このヤロ~ (退場)

――「女王の教室」に続きまして、「エンタの神様」の本家○○コングの入場です!

おい!世の中のギスギスした黒服の先公!
今日はお前に言いたいことがある! よーく聞け!

一つ、授業以外で私に話しかけていいのは成績上位の2名だけです、って言う先公!
成績上位の2名だけ?はぁ?
お前は上位2名どころか、代表委員の由介や和美にも随分話しかけているじゃねぇか~
だったら真ん中の20名くらいの生徒にも脅すだけではなくて、少しはかまってやれってんだよ~このヤロ~

一つ、成績がよくても私に逆らってる限りバツを与えますから、って言う先公!
私に逆らう?はぁ?
だいたい成績の悪い奴に代表委員をやらせるって言ったのはてめぇだろ!
自分で作ったルールに例外を作っておきながら、私に逆らうなって言うのはおかしいんだよ~このヤロ~

一つ、トラブルを起こすような人がいたらグループ全員の連帯責任にします、って言う先公!
トラブルを起こす?はぁ?
そんな服装や喧嘩の監視なんかさせてる暇あるなら、グループ内で勉強教えあって、よそのグループより平均点が上がるように競争させた方が、よっぽど成績上がるんだぜ。
世の中、会社の中で自分が一番になるよりも、その会社が業界で一番にならなきゃ生きていけねぇんだよ。だから勉強の時だけは個人プレーさせて、風紀チェックだけは団体プレーって言うのがおかしいんだよ~このヤロ~ (退場)

と言うことで、女王様の言うことに正しいこともあるのだが、間違いもたくさんあるんだ。
『ごくせん』の時だって少し変だなと感じたこともある。
でもヤンクミは自分の間違いを素直に認めるだろうけれど、
真矢の間違いを指摘するのはむずかしい。
私、電影道士でさえ、○○コングの力を借りないと、本人の前では言えないのだ。
そう言えば、ドラマ『アタックNO1』の猪野熊監督もずいぶんと、選手をいじめていたけれど、
あれも愛情だったのか? 女王様の愛情表現も理解するのがたいへん。

でも私はこのドラマを高く評価したい。多少表現がえげつないし、こんな先生ありえない~ウソくさい~なんて思うけれど、現実の教育問題はもっと厳しいのでしょ?
ここで取り上げている問題を、クラス会でみんなで話し合ったり、家庭で子供と向き合うのも有意義なのでは。
このまま見たままだけだったら毒かもしれないけれど、10倍に薄めれば薬になる。

最終回がどうなるか、楽しみ。私はある結末を期待している。
途中で打ち切りになると、問題が一生解決しないまま、ずっと尾を引くことになる。
それこそトラウマになる。どうぞ、最後まで見させて欲しい。

主演の天海祐希は偉い。こんな汚れ役、よくぞ引き受けた。
エンディングのあの笑顔がなかったら、みんなあなたのことを誤解してしまう。
何ですか? 私の出身の宝○は、もっと厳しかった? なるほど・・・

脚本:遊川和彦
主演:天海祐希、志田未来
(2005年。日本テレビ系)

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隠し砦の三悪人

――血沸き肉踊る冒険活劇。でも、何か見逃していないか? 隠し砦に何かがある。

時は戦国。又七、太平のいがみ合いで始まる冒頭は、『スターウォーズ』であまりにも有名。
手柄を立てようといくさに出たが、散々な目に遭って逃げ出した二人。お互いに相手をなじり、隙あればうまい話を独り占めしようとする、強欲のかたまりのような二人。

その二人は偶然拾った薪の中の金塊がきっかけで、六郎太を手伝って金二百貫を運ぶ羽目になる。二人は六郎太が金塊を不正に手に入れたと思ったからだろうか、最後まで隙あれば横取りすることばかり考えていた。もっとも六郎太の正体を知ったところで、彼らに忠義心があるかどうかは疑問であるが。

出発直前、六郎太が妹を雪姫の身代わりとして役人に差し出したことを、雪姫はなじる。「妹を殺して涙一つ流さぬ、その忠義顔! 嫌じゃ!」と言い残し、怒って出て行く。側にいた姥は、そういう姫こそ涙も流さずに六郎太を責めるのは姫のわがままだと嘆く。しかし雪姫はそのあと、山中で人知れず大粒の涙を流して泣くのであった。

親兄弟、味方や主人にさえも騙し、殺しあう、この乱世の時代。
六郎太が妹を犠牲にしてまでも姫を救ったならば、これ程までの忠義心はないはずだ。しかし姫がそこで泣いてしまったら、六郎太の立つ瀬が無い。彼女は領主としてこの非情な選択を受け入れつつ、その無情さに言い得ぬ怒りと悲しみを感じた。だからこそ一人で大泣きしたのだ。16歳の姫にとっては大きな試練である。
はたして忠義心とは何か? そのためにはどんな犠牲も仕方ないのか? 吹っ切れない何かが残る。

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Shall we ダンス?

――遠慮しないの!遠慮していたら何も伝わってこないでしょ? 恋愛もダンスも最初の一歩が肝心。

仕事帰りの電車の外でビルの窓辺に立つ女性、
いつも遠くを見つめる瞳が、気になり今日も外を見上げる。

過去数十年の通学・通勤の時間に、こんな経験は皆無である。
ただ言われてみれば、ダンス教室はよく電車から見えるし、もしこういう場面が仮にあったとしたら、自分が幸せだろうが、不幸せだろうが、人生に疲れていようが、幸せに飽きていようが、とにかく彼女のことが気になるだろう。そしてついには途中下車して未知の門をたたいてしまうに違いない。
主人公杉山の心情に自分がピタリとシンクロしてしまう。
(もしこれがヨガ教室や英会話教室でも同じだが、空手道場でも門をたたくだろうか?)

果たして気になる彼女(舞)はオーラを放ち、近寄りがたい存在であった。
(草刈民代の表情は硬く、演技に馴染んでいない様子で周りから浮いて見えた。それが演出効果かどうか、結果的に観客は彼女との距離感を意識してしまう。)
杉山も何日目かに、ようやく舞から指導を受ける。これはチャンスとばかり、思い切って食事に誘うが、キツイ言葉で断られてしまう。普通ならここで辞めてしまいそうなものの、彼はダンスを続ける。

彼女にも苦い過去があり、そのわだかまりが清算できていないというのが、だんだんわかってくるが、ようやく笑顔を見せるのは、小さな女の子が一生懸命踊っているところを見た時だった。
大会が近づき、杉山は再び舞から指導を受けることになる。
「遠慮しないの!」 舞が今までに無いような大きな声で叫ぶ。
「リーダーはね、体全体を使って相手にどう出るのか伝えなくてはいけないの! 遠慮していたら何も伝わってこないでしょ?」
やる気を失せていた舞が目覚める瞬間であるが、同時に草刈が映画の中で息づいた瞬間でもある。

そして冷たく見えた舞(草刈)の表情が、どんどん豊かになって行く。
白板を前にして凛として大会への緻密な戦術を説くあたりや、誰もいない教室で何も考えずに一人で楽しそうに踊っている様子、どの場面も彼女の魅力を存分に引き出している。

脇役もみんな生き生きしているし、演技もダンスもすばらしい。
特に大会で竹中演じる青木が「カツラなんか気にしているからよ」と言われて、カチンと来てカツラを床にたたきつけ、まるで別人のように踊りに気合いが入るところ。たま子先生の「カツラが取れて・・・」の台詞は涙が出てくる程決まっていた。

大会が終わり、彼女は一から出直そうと留学を決意する。
お別れパーティーで、杉山を待つ彼女の憂鬱とした表情。パーティーに行こうかどうか迷いつつ、パチンコで時間をつぶす杉山。どちらも描写が細かく、うまいなぁと思う。
「舞さんのラストダンスのお相手は?」 そして大団円。

ストーリーの中で唯一嘘っぽい存在、りアリティがないのが大人しすぎる杉山の奥さん。
浮気を確信して興信所にたのむのもアリだし、ダンス教室に通っていると知ってもまだ疑心暗鬼なのもアリだろう。浮気の相手が「ダンス」だったと知って「でもやっぱり浮気だわ」というのも正しい。
でも家庭内のゴタゴタは、こんなきれいごとでは済まないはず。そんな健気な奥さんおらへん!
リメイク版がそこに気づいたのかどうかは知らないが、夫婦愛に重点を置いたそうだが、そうなるとこの映画が描きたかったことと別物に変わってしまう。(だからまだ見ていない)

嘘と言えば、私は杉山にシンクロした結果、彼の無意識の嘘にも気づいてしまった。
「あなたを見返してやろうと思って続けているうちに、本当にダンスが好きになってしまった」
本当にダンスが好きになってしまった~? はあ? 
だったらなんで大会が終わってからもダンスを続けないんだよ~と、ツッコミを入れたくなる。
彼女の憂鬱な表情に魅せられてダンスを始め、ダンスに熱中することが彼女を助けることになる。そんな図式を彼は全く気づかないはずはない。少なくても大会で奥さんに見られた瞬間、気づいたはず。
お別れパーティーに行こうとしなかったのも、舞への言い得ぬ思いがあるからだ。

女性からはこの映画って、どう見えるのか? 舞にシンクロして見ているのかな?
この映画は舞が本当の意味での主人公で、一人の中年男性との出会いをきっかけにした彼女の成長物語なのである。彼への手紙には、誰にも打ち明けることのなかった舞の内心が素直に書かれてあった。
自分を立ち直らせてくれた中年男性への感謝と信頼と淡い恋心?そして別れ・・・
その万感の思いが最後の舞の「Shall we ダンス?」の言葉に込められている。それは恋とは言えないかも知れないが、明らかに、許されない男と女の物語なんだから・・・

[蛇足]
主人公杉山は、周防監督の分身でもあるはずだ。
ふと電車の窓からダンス教室の看板を見て、引寄せられた思い。
バレリーナ草刈民代との出会いと距離感。肘鉄をくらったかどうかは知らないけど、その後の彼女との距離がどんどんと縮まり、映画にはないハッピーエンド!
下世話な話で申し訳ないが、監督の内面と映画の展開が見事にシンクロしている感じだ。
今度はぜひ、彼女との家庭を題材にしたラブコメディー映画を作って欲しいと、心待ちしている。

出演:役所広司、草刈民代、竹中直人、渡辺えり子、草村礼子
監督:周防正行 『ファンシーダンス』 『シコふんじゃった!』
(1996、日本)

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生きる

――極太の人生観。深刻な中にも忘れないユーモア。そしてラストシーンの意味は何?

妻に先立たれながらも男手一つで息子を育てながら、市役所に30年間まじめに勤務する渡辺課長。ナレーションは主人公の紹介をしながら、この男は「生きているとは言えない」と突き放す。ある日課長は自分が末期癌であることを知り、絶望の淵に突き落とされる。ここから物語が始まる。
(この人のどこが悪いんだ!ごく平凡にまじめに生きる人たちを断罪することに少々異議はある。)

息子に打ち明けようにも言葉が出てこないで、どうでもよい世間話しかできない。
死の淵から逃れようと酒に頼ろうとするが、すぐ吐いてしまって酔うこともできない。見かねた三文文士(死語かも?)が、ゲーテの「ファウスト」に出てくるメフィストを気取り、浮世の快楽の世界へといざなう。注目すべきは制作当時(昭和27年)の、手打ちのパチンコ、キャバレー、バー、ダンスホール、ストリップなどの大衆娯楽が垣間見られることにある。今とは随分違った雰囲気で、映画の主題と離れて楽しめる。

ダンスホールで勧められて歌った「ゴンドラの唄」は、まさに死の淵を見据えた、この世のものとは思えない歌いぶり。目頭が熱くなってくる。すぐさま三文文士は課長を引きずって場を離れようとするが、その時の歌い方は一転して普通のどうしようもない酔っ払いのおっさんだった。その落差が妙に可笑しい。タクシーから飛び降りて吐く課長。あんなに騒いでも虚しさに心が晴れる様子は無かった。(ここは納得)

二日目。部下の女の子にばったり出会う。彼女は辞職届に判を押してほしいと頼む。課長はやむなく家に連れて行くが、出された書類を一目して「書式が違う!」といつものように突き返す。二人が出て行く様子を息子夫婦が見て誤解する。息子は当惑。嫁さんは自分の推理が当たったと思わずニヤリ。(ここはギャグの乱れ打ち)
今度は課長が彼女をいざない、覚え立てのパチンコ、アイススケート、映画、喫茶店へと足を運ぶ。打ち解けた彼女は、職場の上司につけたあだ名を披露する。こいのぼり(中身がないのにお高く止まっている)、なまこ(つかみどころが無い)、どぶ板(365日じめじめしている)、ハエ獲り紙(誰にでもベタベタしている)等、笑点の大喜利を凌ぐ出来栄え。課長に付けたあだ名が、文字通り「ミイラ」。(どぶ板もハエ獲り紙も死語?)

何日も仕事をサボって援交を重ね、ついに課長は彼女に告る(告白する)。
「実はその、つまりその・・・、わしはもう半年の命で・・」(いきなり重い告白だ)
「君はどうして、つまりそんなに輝いているのか・・」「私はただ」「ただ?」「ただ働いて、食べて、それだけよ」
あまりにも平凡な答えに課長はしばし絶望する。
「でも・・・」彼女は工場で作っているオモチャのウサギを見せ、新しい仕事に満足していると答え、「課長さんも何か作ってみたら?」と勧める。課長は雷に打たれたようにウサギを抱え、店を飛び出していく。(脱兎のごとく、これもギャグ?)(店ではちょうど誰かの誕生会があって、「ハッピ・バースディ」の唄が高らかに歌われる)
ここで画面は、いっきに課長の御通夜の場面に切り替わる。スゴイ!お見事!と言いたい。この緩急のつけ方、前半のギャグの細かい積み上げから発し、緊張の山場から後半への急降下。この手法は次回作『七人の侍』でも使われる。

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一番美しく

――日本人が忘れてしまったかもしれない「美しさ」と「恐ろしさ」を描いた記録映画風の映画。

戦時下、兵器のためのレンズ工場で働く女子挺身隊(工員)たちの物語。

所長(志村喬)は訓示として、工員たちに工場が「特別増産体制」に入り、男子は10割、女子は5割の増産を目標として奮闘するように告げる。女子工員たちが不満げに言ったのは、目標が男子に比べて低すぎる、せめて2/3にして欲しいとのことだった。

要求通りに目標は上方修正された。集団生活の中で微熱を隠してがんばる者、骨折して国に帰ることを悔しがる者、皆それぞれ無理を押して増産に励むが生産は向上しない。やがて仲間割れが起き、彼女らをまとめる渡辺班長(矢口陽子)の心労は重なる。彼女も故郷にいる重病の母のことを隠し続けた。

ある日渡辺班長は自分の過ちで不良レンズを見逃してしまう。責任を感じて徹夜で一人不良レンズを探す渡辺。見守る所長と寮母のまなざし。夜明け間近、そのレンズはついに見つかった。
 
[感想]
戦時下の国策映画であり、お国のために自己犠牲で働く姿を「美しく」描いている。
それ故に戦争を美化していると、戦時下だったとは言え、のちの評論家の反発は大きいようだ。
確かにこの女工たちが一体何のためにがんばるのか?と言えば、
故郷の親のため、兵隊さんのため、お国のためと答えるしかないだろう。
どんなに働く姿を「美しく」描いても、戦争は決して許されることではない。

しかし黒澤本人は監督第2作目で、オリジナル脚本でもあるこの映画のことを非常に気に入っているという。
この作品は国策映画にもかかわらず、不思議と黒澤監督の指向性がはっきり出ている。
それは崇高なものへの憧れと、それに自己犠牲を払ってまでも近づこうとする献身的努力。
監督第1作の『姿三四郎』に始まり、『わが青春に悔なし』『静かなる決闘』『生きる』『七人の侍』『赤ひげ』までと続く黒澤作品群前半の大きなテーマである。『一番美しく』もこの系列に加わり、オリジナル脚本の最初の監督作品であるとともに、後の作品の萌芽をあちらこちらに感じ取れる。監督のお気に入りであるのは察しがつく。

上に挙げた黒澤監督の一連の作品群は『赤ひげ』(’65)で終わってしまうが、その熱き魂はTVや漫画のスポーツ根性もの(スポ根)へと点火されて継承されていったと考えている。もちろんその背景として’64の東京オリンピックや、プロ野球のON時代の幕開けを筆頭とするスポーツの興隆があるだろうし、社会全体が高度成長期に突入し新たなる「特別増産体制」が始まったからだとも言える。戦争ではない、新しい目標に近づこうとし、献身的努力が改めて「一番美しい」とされたのだろう。

この映画を見た時、主人公の渡辺班長に懐かしさを感じたのはなぜだろうか?
生産活動の合間に、鼓笛隊の練習とバレーボールの遊びのシーンが繰り返し出てきた。
後になって考えると、『アタックNo1』の鮎原こずえとダブらせて頭に浮かべていたのに気づいた。
いつもキャプテンとしての重圧を背負ってチームをまとめ、仲間をかばったり、時には皆からひんしゅくを買ったこともあったし、試合のために好きだった努君の死に目にも会えなかったし・・・
あっ~、完全にキャラがかぶっているじゃないか!

バブルがはじけて、もはやひたむきに頑張る時代は終わったようで、献身的だの根性だのは「超だせぇー」と言われて久しい。しかし日本人の美意識がそう簡単に変わるとは思えない。むしろ今でも心に深く根ざしたものだと思っている。ダサいはずのスポ根が、現在少しずつ復活していることからもそれは感じ取れる。

一番恐ろしいのは、その美意識だけが一人歩きしてしまうこと。
当時の兵隊さんだって、この映画の女工さんだって、みんな家族のために、お国のために頑張ったのだ。
自分たちの掲げた目標のため、あるいは故郷の両親のために、さらにはもっと崇高なもののために、ひたむきに頑張って作っているのが、戦争に使うためのレンズだなんて、考えてみればあまりにも残酷な話だ。
でも実際にそうだったのだと、この作品は記録映画のような語り口で語っている。
いやむしろこの作品自体そのものが、忘れ去られる国策映画という存在を「記録」している「映画」なのだ。
しかしこれがけっして遠い昔話ではないことを忘れてはいけないと思う。

[蛇足]
このヒロイン渡辺班長を演じた矢口陽子が、翌年には黒澤夫人となる。
撮影の前後でも本当の班長みたくて、みんなの意見や要望を代表して黒澤監督によくかみついたらしく、
そんなところが監督の心に留まったんでしょう。
 
監督:黒澤明
出演:矢口陽子、志村喬、入江たか子
(1944年・日本)

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がらくた

――戦国時代、南の孤島で花開いた、身分を超えた男と女の夢物語。もしかしたら、あの大河ドラマの隠し味?

[物語]
戦国時代、堺のある豪商の家で美しい姉妹、蒔絵と緑の婿候補として、公家と武将の二人が招かれ、舟遊びが催される。しかし嵐に遭って船は難破し、一同は南の孤島に漂流する。
残り少ない食料と水をめぐって、豪商・公家たちと下働き・船乗りとの間でいがみ合いが起きるが、下働きの勘三郎(市川染五郎、現・松本幸四郎)の働きで、彼らは身分や男女の分け隔てなく、力を合わせて生きていくことになる。
そんな勘三郎に蒔絵と緑はしだいに心を寄せるようになり、おのずと波風が立ち始める。
やがて食料が底をつき始め、再び争いが起き始めたその矢先、折りよく近くを船が通り、彼らは助けられるのだが・・・

[解説]
ケーブル、CSで今月まで放送された《黄金の日日》の関連映画。いろいろな類似点がある。
市川染五郎が同じ戦国時代、堺の豪商の下働きという設定。
船が遭難して孤島に着く。そこは、楽園であり、身分を忘れた生活を送り、
市川染五郎演じる下働きは豪商のお嬢さんと恋に落ちる。
やがて、元の世界に戻っていくが、そこには身分の違いが歴然として存在している。
そして再び自由を求めて、市川染五郎は海を目指す。お嬢さんは・・・

《がらくた》で、一瞬だったので、はっきりしないけれど勘三郎が堺に入ろうとした時にさし出した手形に、納屋何がしと書いてあったようだった。つまり勘三郎を助けた船長(ふなおさ)は、納屋何がしだったということならば、《黄金の日日》と同じ後見人だ!

無人島と男女と身分のテーマは《流されて…》 (1974、イタリア)等、よくあるようなお話。
《黄金の日日》(1978)は、スケールもテーマも全然違うが、ここまで似ていると偶然とは思えない。
この大河ドラマについては、思い入れも大きいので近く改めて書こうと思う。

出演:
市川染五郎(現・松本幸四郎)
大空真弓、星由里子、有島一郎、中丸忠雄

(1964年、日本)

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戦国自衛隊

――自衛隊の戦国時代への派遣は、歴史を変えるべからずという「時間航法憲章」に違反か否か?

史上最強の武田騎馬軍団と20世紀最新鋭の戦車、火縄銃と機関銃、手裏剣とピストル。そしてヘリコプターが騎馬軍団の上を我が物顔に舞う。(もしかしたら合戦シーンの撮影現場では、空撮のためのヘリは本来見慣れた風景かも)
槍も刀も戦国武将顔負けの伊庭三尉(千葉真一) のアクションがギラギラ光っている。

ネタばれです---

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写楽

――平成の役者が束になってかかってもかなわない、絢爛豪華な寛政文化の虚と実。

[物語]
真田扮する役者十郎兵衛(トンボ)は、舞台の上で縦横無尽にトンボを切る立ち回りで大人気だったが、ある日舞台上での事故で片足の自由を失い、職を失った。
彼は絵を描くのが好きだったことで、裏方の大道具の仕事にありついたが、昔の役者仲間には無視される始末。
一方、浮世絵の版元蔦屋重三郎(堺)は、お抱えの天才絵師歌麿(佐野)に逃げられ、彼を見返すために新しい絵師をさがし回る。そしてトンボの筆遣いに見初め、役者絵を描かないかと誘う。絵は当たり、一躍大人気となるのだが・・・

[見所]  
「写楽は誰か」、よく歴史ミステリーとして出てくるが、フランキー堺自身が生涯暖め続けたライフワークでもあったとのこと。まさに「孵卵器ー堺」だ!

この映画は謎解きの面白さ以上に、当時の歌舞伎小屋や、浮世絵師たち、遊郭の様子、お上の改革などが生き生きと描かれている。

片岡鶴太郎、竹中直人と「濃いー役者」ばかり集めているのに映画が重くならない。むしろ絢爛豪華な寛政文化を支えた多くの個性派芸術家たちを演じるには、まだまだ力量不足かもしれない。 これだけ役者が束になっても、名前負けしてしまうのだ。
(ちなみに新藤兼人監督『北斎漫画』は、緒方拳主演に、西田敏行、宍戸錠がいて、フランキー堺も出ていた)
 
[感想]
謎の写楽が、こうした「濃いー役者」ではない真田広之なのが、妙にリアルである。しかし幼名を何と言ったか、どうして役者になったのか、映画ではわからない。父の顔を知らず、母を幼い時に亡くしたようだと後からわかるのだが、そこから人気役者にどうたどり着いたのか、よくわからない。

映画は、ようやく手にした栄光の花道から転がり落ちて行く、運命のその日から始まる。
人気役者、齋藤十郎兵衛という名前も失った。旅芸人(岩下志麻)から名前を聞かれるが、黙っていたら、「舞台でトンボを切るからトンボ 」という名を付けられる。もうトンボを切れない身体なのに何とも皮肉な名前である。

トンボがかつての役者仲間から無視されて、屈折していく心情、すごくわかる気がする。
好きな絵がなかったら、もっともっと落ちていったんだろう。
旅芸人や蔦屋から仲間にならないかと誘われても、「しゃらくさい!」と最初は一蹴してしまう。
それで今度は、「江戸を意味する東洲と、しゃらくさいを付けて、東洲斎写楽」になってしまう。
私には絵はよくわからないが、彼の役者絵が妙に似ているのに、醜くて嫌らしくしてしまうのは、世の中を斜に構えて見ているからだと思う。おいらん(葉月)との出会いが、わずかながらトンボの心を癒すことになる。

天才絵師歌麿(佐野)は、囲っていたおいらんの裏切りと、写楽の絵に対する嫉妬で逆上し、権力を振り回して二人を無理矢理に吉原から抜け出るように仕向ける。これは掟破りで、すぐにつかまり、トンボは半殺しの目に合い、女は女郎屋に売り飛ばされる。こうして二人は引き裂かれて、共に抜け殻のようになってしまう。歌麿 も思い通りに復讐できたが、彼女に与えた選択が自分を捨てて出ていったことに大泣きする。

写楽は確かに才能と運はあったのだろう。役者としても絵師としても成功した。でもいつも隅っこにいるだけで、存在感が希薄すぎる。名前だって随分いい加減に決められてしまうし、駆け落ちだって人に強要されて否応なくする。これを「濃いー役者」ではない真田広之が演じている。そこが妙に等身大でリアルなために、他の「濃いー役者」たちが演じる絵師が、全部嘘っぽく見えてしまうのかもしれない。

唯一実在感があるのは、フランキー演じる蔦屋だけである。お上に楯突き、歌麿を見返そうと躍起になり、そして人生を全うする。その生き様は、 フランキー自身なのであろう。

原作:皆川博子
監督:篠田正浩
出演:真田広之、フランキー堺、岩下志麻、佐野史郎、葉月里緒菜
(1995・日本)

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陰陽師

――なんてったって、萬斎がはまり役。でももったいないな~

萬斎の背筋をピンとはり、呪をとなえる様は妖しい美しさがある。
衣装も豪華、CGを使って再現した京の都に行き交う人々と牛車、まさに平安絵巻。こういう絢爛豪華なシーンは、小説や漫画だけでは頭に思い浮かべることはできない。 もうちょっといろいろ見せてもらいたかったけれど、まぁ無理か。
敵役の真田広之の迫力に圧倒、CMでも使われた「おのれ~晴明!!」と憎悪を燃やすシーンは、武者震いがするねぇ。
 
原作は陰陽師晴明の事件簿といった感じで短い挿話を連ね、晴明と博雅の絶妙な掛け合いと、人々の悲しい性(さが)をほろりと描く、独特の渋味がある。小説も漫画もおすすめ。

映画ではもっとわかりやすく見せるために、陰陽師VS陰陽師という展開にしたのだ。
これはこれで悪くないし、絵としては面白かった。

でもこれではあまりにも、「帝都物語」と似ていないかな。
同じような術を使っていたし、都の平和を守るという大義名分も・・

「帝都物語」は帝都建設の推進派と旧派の戦いという歴史の転換期におけるダイナミズムが描かれている(はずだった)が、こちらは、朝廷での権力を狙う野望と正義の対立。話が小さい、小さい。

クライマックスも、晴明の術が早すぎる。もっと引っ張らないと。
途中から真田広之の道尊が呪術を捨てて、刀で晴明を殺そうとしているが、これは反則だろう。 真田さんの剣術はかっこいいけれどね。

博雅がやられて、晴明がさめざめと涙を流すのも、あまりいただけない。陰陽師は生死が入り乱れる無常の世界にいるので、涙を流してはいけないのだ。

ここまでいい役者を使って、もったいないな~
ちょっと惜しいけど、好きな映画。

原作:夢枕獏/監督:滝田洋二郎
出演:野村萬斎、真田広之、伊藤英明、小泉今日子
(2001・日本)

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