ひまわり~夏目雅子27年の生涯と母の愛

――「伊集院雅子の生涯」彼女の人生そのものがドラマである。仲間由紀恵が良い。ふと見せる表情が怖いくらい夏目雅子。

夏目雅子という一人の女性がどう生きたか、女優として、娘として、妻として。
母の手記という視点ではあるが、実に生き生きと描かれていた。

娘の将来を想い、女優業に反対しつづける母の願い。
大好きな母にどんなに反対されても、弱音を吐かずに女優を続ける雅子。
口と一緒に手も出る母に対して、気丈に自分の意思を押し通す。
彼女の演技にもし何かを感じるとしたら、それは母譲りの芯の強さのせいかもしれない。
母娘ってたいがい、よく似るもんだから。

それにひきかえ、控えめで気配りが出来て本当に優しい父。
アッシー君?をやりながらさり気なく娘を気遣い、今度から電車で通うと言い出す娘にちょっと寂しげに笑う父親。
雅子は間違いなく父親のDNAも引き継いでいる。
父娘ってたいがい、よく似るもんだから。

余命幾ばくもない父に気丈に演技をし続ける雅子。
死んだ父に静かに言葉をかける母。
そんな姿までも「芸の肥やし」にしてしまう雅子に激怒する母。
人間の喜怒哀楽、美しさも醜さも演じていかねばならない俳優って因果な商売。
「難しいから面白いんじゃない?」

女優になりたかったのは、母の気を惹きたかったから?
人間ってそんな単純ではない。でもそれもよくわかる気がする。
反対されたからあんなに頑張れたのだろうし。
せっかく母の理解も得て、旦那さんとの愛も、女優としての地位も得て、これからというはずなのに、残念でならない。彼女の人生そのものがドラマだった。

仲間由紀恵が良い。三田佳子、岸部一徳の脇ももちろんだが。
実在の人物、しかもまだみんなの記憶にある女優を演じるなんて、半端な気持ちではできない。あのポスターは愛嬌だとして、出演作のワンカットは結構似ていた(ファンサービス)。時々夏目雅子が憑依したようで、ふと見せる表情が怖いくらい夏目雅子。あれは演技を超えていた。
彼女も今年27歳。夏目雅子が逝った歳である。どういう女優かほとんど知らなかったそうだが、あの女優魂は見る側よりもずっと強く彼女の心に刻み込まれたに違いない。これからもいい演技をして欲しい。

原案:『ふたりの「雅子」』(小達スエ著.講談社)
出演:仲間由紀恵、三田佳子、岸部一徳、緒形直人
(TBS.2007)

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生きる(リメイク版・含比較)

――二時間ヒューマン・ドキュメンタリーならば文句なし。でもたとえパロディーでも良いから松本幸四郎に柳沢教授風に演じて欲しかったなぁ~

松本幸四郎と言えば大河ドラマ『黄金の日日』で主人公助左衛門を演じた。乱世に生き、自分の信念を貫き、夢を追い続けた情熱的な人である。
私の好きなドラマだが、レビューがまだ書けない…
しかしまるで『生きる』の渡辺とは正反対のキャラである。

『天才柳沢教授の生活』では、本人は至って大真面目な大学教授なのに、いろいろ事件を巻き起こし(?)、くすくすと笑いを誘う。時間には几帳面で、道も必ずまっすぐ歩き、曲がり角は必ず直角に曲がって歩く。好奇心旺盛という意味では情熱的とも言えるが、真面目さと可笑しさのギャップはこの方の持ち味なんだろう。このキャラで行くのかな? 私は少し期待した。

黒澤オリジナル『生きる』については、すでに全てを書き尽くした。あとはもう自分にその時が来ない限り、新たな感想は出そうも無い。だから今回はリメイク版との簡単な比較でお茶を濁したい。

しかしながらリメイク版は、最初から最後まで真面目に撮り過ぎだ。まるでシリアスな密着ドキュメンタリーのように、カメラが付きっ切りで撮っている感じ。一人称。見る側も心に余裕が無く、主人公勘治につき合わされている。
オリジナルはその点、ブラックユーモア満載。息子夫婦とのやり取りも、大真面目なのに間が抜けていて可笑しい。鬼嫁でさえも単なる我利我利亡者ではなく、義父と寄り添う?若い娘を見て、皮肉な顔をしてニヤリとする。
そうこれこそが柳沢教授的生活。
勘治が深刻になればなるほど、不謹慎だけどフッと笑みがこぼれてしまう。

メフィストを「三文文士(死語)」でなく、息子と同世代の男にしたのは素晴らしい。
一晩で一生分の快楽を味わせて差し上げましょう!
おぉ~このセリフ、なかなかグッときますね。
彼との一夜の思い出は、叶わなかった実の息子光男とのバーチャルな一夜。羽目をはずす柳沢教授、じゃなくて勘治をもっともっと見たかったね。メフィストは自分の死んだ親父を思い出していたと言うが、勘治は息子の事を少しでも思い出したりはしなかったのだろうか?

「老いらくの恋」なんて死語ではなくずばり「援交」。上役のあだ名がミイラしか出なかったが、本当はもっといろいろなあだ名があった。まぁ仕方ないか、死語のオンパレードだから。勘治が立ち直るきっかけとなった犬の縫いぐるみだが、やはりここはウサギでないとギャグにならないだろう。

お通夜のシーン。名場面なのだが、芸達者な役者を揃えた。みんなうまいね。
なのに後日談はよくない。
新体制の市民課。やる気の無いみんなに対してユースケが一瞬でいいからガツンと怒って欲しかった。書類の山に埋もれるシーンもない。

ラストの助役の選挙カーにあの娘がウグイス嬢をやっている。
子犬を作るのが楽しいと言った彼女は、どこに消えてしまったのか…
黒澤がラストシーンで投げかけた謎掛けは、どこに消えてしまったのか…

演出: 藤田明二
出演: 松本幸四郎、深田恭子、北村一輝、ユースケ・サンタマリア、小野武彦、岸部一徳
製作:テレビ朝日(2007)

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生きる(黒澤明.1952)

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時をかける少女(アニメ版)

――時をころがるお転婆少女・真琴の七転び八起きのやり直し人生。私は原作やNHK版や大林監督版よりも結構楽しめたけど。

筒井康隆原作は短編ながらも未だに色あせないSFファンタジーの金字塔だろう。
『スーパージェッター』のような未来人でもなく、『タイムトンネル』のような超最新鋭の研究所でもなく、ごくごく普通の女の子芳山和子が、ごくごく普通の放課後の理科室で、という所が子供心をくすぐった。ケン・ソゴルという名前もしっかり頭に刻み込まれた。ラベンダーという花は当時見たこともなかったが、いつかきっと嗅いでみてタイムトラベラーになりたいと願ったものだ。(今ではトイレに満ち溢れているその香り)

しかし、淡い恋心をモチーフにしたノスタルジー…云々という何かで読んだ解釈は、あまり当たっていないと思った。NHK少年少女ドラマシリーズ('72)では当時の幼い自分にわかるはずもないし、現存する最終話を見ても、どこが淡いのかあまりピンと来なかった。大林版('83)は原田知世の笑顔全開だが、淡い恋心よりはどうしても尾道のような原風景への淡い郷愁が先に立ってしまう。ミュージカル風エンディングは好きなのだが。

第一に思い出として残るからこそ「淡い」と感じるのであって、『MIB』のようにピカっと記憶を消されてしまったら、「淡く」さえもない。何も思い出せない芳山和子をあわれと思うか、それとも好きな彼女を忘れられずに未来に帰ったケン・ソゴルをあわれと思うかは自由だ!(♪あわれ is freedom~)でも、この見方はちょっと『シザーハンズ』の感想に似てるで! 私は角川春樹監督版('97)の、一味違うウェットなエンディングが好きだ。

もう一つ残念なのは、今までの作品では思った通りの時間に行けるほど能力はそんなに高くなく、あまり見せ場らしい見せ場が無かったこと。それにNHK版では和子が先生を助けようとしたが結局できなかった。過去は変えられないという例のお約束で。大林版の場合も原田知世は自分の能力に気付いたらすぐケン・ソゴルが現れてしまう。もっと自由にあちこち行かせてあげればよかったのに。

さてここまで書けば、アニメ版が結構楽しめた理由が何となくお分かりであろう。淡い三角関係、放課後の理科室という設定はそのままで、あとは大胆にアレンジをしている。
せっかく身についた超能力だから、好き放題に使いたい。過去は変えられない、なんて難しい時間の理論は関係ない。真琴は何度でも過去に戻って、自分の好きなように人生を選択している。宿題を忘れたら過去に戻ればいいじゃん、なんて実に安直。調子に乗って功介と後輩の女の子の仲を取り持つために、何度も過去を上書き保存する。でも高校生が思いつくことって、しょせんあんなもんでしょう。100万円もらっても、何に使えばいいかなんて急に思いつかない。

なのに千昭に告白(あれでも一応告白なのかな?)された時は、それをこばんでさっさと過去を消してしまう。しかし一度消えた過去は元に戻らない。彼の気持ちを踏みにじった罪悪感。そして好きだと言われて初めて気付く自分の中の揺れる想い。いいねえ、これこそが「淡い恋心」。このビミョウな乙女心がうまく表現できていたと思う。最後も記憶を消されず、「淡い」思い出を抱いたままがんばろうと誓う彼女の姿に「負けないで!」とつい応援したくなる。これまでの作品にない展開に、なあるほど、そう来たか!と感心させられた。

※「7デイズ」というアメリカのSFドラマでは、主人公の特殊工作員が過去に戻って社会を脅かす大事件を未然に防ぐ。これなんかはもっと大規模で、国家機関が関与して過去を変えるのだが、やはり個々人の人生は上書きされてしまうのだ。これって人権侵害だろう?
※タイムリープできる回数だが、あれはおかしくないか? 戻って増えるくらいなら、最初からそうなっているはず。エンディングが流れていても、気になって仕方なかった。
※中高校生くらいだど、変えたい過去なんてそんなにないだろう。おじさんになると変えたい過去だらけだ。でももう一度中学生に戻って受験勉強なんかやり直したくないしナ。
◆この電影道士のブログには、時間と記憶関係の映画の記事が結構多いのに気づかれたであろうか? 『戦国自衛隊』『タイムマシン』『12モンキーズ』『猿の惑星』『メメント』『MIB』等。
原点はこの『時をかける少女』だろう。

監督: 細田守
原作: 筒井康隆 『時をかける少女』
脚本: 奥寺佐渡子
声の出演: 仲里依紗、石田卓也、板倉光隆、原沙知絵
(2006年.角川映画)

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はつ恋(田中麗奈)

――音痴でストーカー、ちょっぴり三枚目の田中麗奈の「おじさん改造講座」に、笑っている場合ではないと思わず背筋を伸ばしてしまった。 

定職も無く朝からパチンコ。税金すら払えずに、安アパートの部屋の隅でびくびくする毎日。ぼさぼさ頭に無精ひげ。こんな破綻寸前の中年男のところに、ある日見知らぬ娘が訪れてきた。裏窓からいつもの縄梯子で逃げるも、「藤木さ~ん!藤木真一路さ~ん!」と自分の名前を大声で呼びながら執拗に追いかけてくる・・・振り切ったと思いきや、パチンコ屋の中まで追いかけてきて、母に会ってくれませんかと言われる。

今度は娘を逆ストーカーしてつけて行き、大きな病院に入っていく。こうして彼女が自分のところに来た訳がわかってきた。しかしこのガキ本当に不躾な奴だ。理由も言わずにただ会えだと? 志津枝さんの病気が重そうなのはわかったけれど、第一彼女が本当に俺に会いたいと言ったのだろうか? 俺だってこんな惨めな毎日なのに今更会える柄じゃないワケだし・・・

翌日まだ朝早くあの娘がやって来た。
「志津枝さん、そんなに悪いのか?」「何で(知ってんの)?」「お愛顧だろっ!」
「よし!見舞いついでだ、行くぞ!」「今はダメなの!夢が壊れる・・・」
「勝手にしろっ!」でゴロンと仰向けになる。

翌日また朝早くあの娘がやって来た。
「ジョギングしよっ!」 こうして田中麗奈演じる聡夏の「おじさん改造講座」が始まった。
「日頃の成果をさぁ、見せてやろうよ!」ってか?
ぶつぶつ文句を言う真田さんが可笑しい。足がもつれてルームランナーからぶざまに転げ落ちる姿に、こちらも椅子から笑い転げる。しかし私も笑っている場合ではない。あちらは演技だけど、こちらはマジヤバ。

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変身

――人には誰しも心を奪われる美しい瞬間もあれば、果てしなく絶望的な時間もある。しかし自分が自分である事にもっと感謝しなければ・・・

純一は絵を描くのが好きな一人の平凡な工員。毎週通う画材屋の店員恵にいつしか恋心を抱き始める。そんなある日思い切って恵を誘って美しい湖に出かけ、そこをバックに彼女の絵を描き始めるのだが・・・

東野圭吾同名原作のこのタイトルがなければ、間違いなく恋愛映画と思って見続けることだろう。もうとっくに忘れてしまったあの感覚を主人公に重ね合わせるのは少々辛いが、美しい大自然を背にした二人の語らいに思わず引き込まれてしまう。

画面は急転。深い眠りから目を覚ました純一は、白い壁に囲まれた無機質な部屋のベッドの上に横たわる自分を知る。この見事なコントラスト!一人の年老いた医師がやって来て、君は九死に一生を得たのだと語る。しかしいったい何が起きたのか純一は全く覚えておらず、教えてもくれなかった。

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ALWAYS 三丁目の夕日

――高度成長への限りない希望が信じられた30年代、故郷に帰ったような懐かしさと違和感を絶妙に閉じ込めた真空パックの三丁目。

まずは薬師丸ひろ子演じる肝っ玉母さんに拍手喝采! 鈴木モーターズ社長のお父さんを立てながら、しっかり一家を支えている。母親役があまりにもはまり過ぎて、あの往年の『野性の証明』『戦国自衛隊』の少女時代が遠い昔だった事に驚かされる。(失礼!)

そして茶川龍之介の吉岡秀隆。彼は何をやっても吉岡秀隆にしか見えないが、りっぱにインテリくずれ?の青年を演じていた。しかも子供を押し付けられて困り果てる様や、笑わせて泣かせる技は見事に昭和喜劇の王道を歩んでいる(笑いのネタが古くて、わかりやすいが、私は嫌いではない)。逝去10年になる渥美清がもしいたら、面白い絵になりそう。しかし満男もいい親父になったなぁ。(こりゃまた失礼!)

昭和の名子役に負けない演技を披露したのが、須賀健太と小清水一揮の二人。特に古行淳之介の須賀健太は、あの健気な目だけで喜びや悲しさの全てを表現しつくす。茶川を尊敬するまなざし、自分のアイデアが雑誌に載った喜び、後味の悪い母との出会い、クリスマス・プレゼント、そして茶川との別れ・・・その素朴で、素直で、純粋な感情表現に、たいていの大人たちは思わず涙。君は本当に平成生まれなのか?

こうした新旧名子役に加え、堤真一の達者な芸や、堀北真希のさわやかさ、三浦友和の渋さが加わり、妙に懐かしく、しかし実際はあまりよく覚えていない(あるいは全く知らない)はずの昭和30年代が不思議によみがえってくる。これが日本人のDNAに刻み込まれた下町の原風景なのか? そういえば寅さんとタコ社長もそうだが、下町ってお隣同士で喧嘩ばかりしているんだね。

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無極(プロミス)

――だますなら最後までだまし続けること、それが大人のマナー? 神様とのご契約は計画的に。この映画は「真実の愛」を求めて止まない、恋愛に臆病な貴女へのメッセージ。

CG使いまくり、派手な色彩とオーバーアクション、真田さんの生中国語に脱帽するものの、突っ込みどころ満載の映画である。しかしその語ろうとするところは実に深遠である。
戦乱の世、生きる術を持たず、ただ一つの饅頭(マントウ)を必死に母に届けようとする幼い少女「傾城」。途中少年に取り上げられるが、奴隷になると言って騙し、饅頭を取り返して逃げる。そんな彼女に運命の女神「満神」は、「世の男性の寵愛と何不自由の無い生活をあげましょう。ただし真実の愛を得ることはできない。それでもいい?」と尋ねる。傾城は「それでもいい」と答え、「プロミス(契約)」は成立する。しかし「真実の愛」とは何か? 幼い傾城は「契約内容をよくご確認」したのだろうか?

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トップキャスター

――敏腕弁護士、鬼教師、そして今度は伝説のニュースキャスター。新しいキャラクターの登場か?

信念を持って仕事に生きる女性を演じるとしたら、きょうび天海祐希の右に出るものはいないだろう。世の中なんて、どうせ自分の思い通りにならないや!と半ば諦めている我々にはまさに救世主。
(わぁ~、平成のジャンヌ・ダルクやぁ!! By 彦麻呂道士?)
それは男性から見ても、一回り下の世代から見ても、かっこいい!と感じさせる女性像。
今度の椿木春香は、阿久津先生のように極端に走らないが、充分に型破りで、恐れを知らずに突っ走るタイプ。頑固で、負けず嫌い、意地っ張り・・・まぁいい意味で。

最初は周りの人間も彼女のやり方に批判的だったが、次第に彼女のペースに巻き込まれていく。
「私は報道なんかに興味ありません!」というアシスタントの飛鳥望美も、「椿木さんみたいになりたい」と言うようになる。
クールな取締役結城雅人も昔の報道マンとしての情熱を取り戻したようだし、権威に弱いお調子者の石場プロジューサーも、とうとう椿木の味方になり、チームを団結させる。そして行き過ぎる椿木をやんわりとたしなめるのは、児玉清演じる局長。いい味出している。

そういう仕事第一主義の椿木も一方では相当お茶目で、家のことはいい加減だし、「恋のイロハは見当つかぬ」様子だし、この辺りは天海が今まで演じたキャラに少々かぶっている。まぁ良しとしよう。

「誰も知らないニュースを取り上げましょう!」
スクープのネタには多少社会性のあるものもあったが、まあ週刊誌ネタっぽいのが多い。最初の頃の医療ミスやインチキ占い師、メール疑惑等は、まあまあパロディになっているかな。野球部不祥事や役所の職員の話は「あり」かもしれないが、はたしてスクープなのかな?
「報道とは人の心を扱う仕事」だから、こういう小さな事件も大切に報道するのだろう。しかし一番大きなスクープが、自社の会長の贈賄疑惑だというのは皮肉な話だが。

回を重ねるにつれて事件そのものよりも、それを扱うスタッフの内面が強調されてくるようになった。となると、このドラマの主眼は「報道する人の心を扱う」教育ドラマだったのか、と気づいた。
つまり最終回を待たず、「誤報」を恐れずに言えば、このドラマはようするに・・・

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事件

――シンプルな題名に隠された「事件」のドロドロとした人間模様と裁判制度への鋭い視点。

 東京近郊の静かな町の山林で、女性の刺殺死体が発見される。スナック経営のハツ子(24)(松坂慶子)だった。幼なじみの工員上田宏(19)(永島敏行)が逮捕されるが、彼はハツ子の妹ヨシ子(19)(大竹しのぶ)と同棲しており、ヨシ子は妊娠していた。宏は殺人を認めているものの、記憶もあいまいだった。公判が進むに連れて、ハツ子のヒモ、宮内(渡瀬恒彦)が登場、被害者の過去がしだいに明るみに・・・。
検事官(芦田伸介)と弁護人(丹波哲郎)の火花飛び散る法廷合戦、そして中央にドンとすわる重厚な裁判長(佐分利信) 。これだけのキャスティングで面白くないはずはない!
でもそれだけではない・・・
 

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女王の教室スペシャル

――説得力のある構成。教育の現実と向き合ったグレー真矢の熱血さがすばらしい。でも・・・・

正直なところ、スペシャルであまり真矢をいじって欲しくなかったが、もう本編を作っている段階から全ての構成を考えていたらしい。説得力のある構成で、真矢の全体像がこれではっきりした。封印された真矢の過去は予想を上回る壮絶な戦いだった。彼女の言葉の一つ一つは、あのような凄惨な過去からにじみ出ていたわけだ。

教え子に裏切られ、同僚たちからも信用されず、子供を死なせ、夫とも理解し合えなかった。そんな絶望の淵に立たされ、死と向き合った彼女が、初めて教師としての天命を知る。そこから逃げられない、自分が教師をまっとうしなければならない宿命を。

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キッチンウォ-ズ

――働く女性の現実と、家事をしない男性への警鐘。『ラストプレゼント』の別バージョン。

またもや天海祐希のレビューになる。(隠れファンなのが、ばれてしまう?)
『ラストプレゼント』の佐々木蔵之介が、またもや同じ夫役で息もぴったり、はまり役。
・『ラスト~』との対比を(◎~◎)で書くので、読みたい方はマウスをドラッグして下さい。
・『女王の教室』との対比を(○~○)で書くので、同様にマウスをドラッグして下さい。

真琴(天海) がイタリアに一人出張するキャリヤウーマンとして、さっそうと登場。イタリアの食器メーカーの重役とイタリア語で堂々と交渉し、日本での独占販売権の仮契約に成功する凄腕。
家に帰ると「専業主夫」の哲也( 佐々木) と小学生の娘が笑顔で出迎える。キャリヤウーマンの妻を支えるために、自ら内助の功に徹する夫。何の迷いもなく誇りさえ持っている。随分進んだ家族像だと思った。まだまだ世間の目は冷たいが、「専業主夫」という選択肢もあっていいと思う。なのに真琴は夫を仕事が苦手で家事に逃げ込んでいると思っている。それにしてもエプロン姿がよく似合う佐々木である。
(◎育児が苦手で離婚した明日香。聡はわがままな明日香をずっと許さなかったが、今度は笑顔で出迎えた。こんなに妻に理解があれば離婚話はなかったろうに。◎)

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こころの湯

――北京の変わり行く下町の景観と、変わらないで欲しい下町の人情。

北京オフィス街のど真ん中、「コインシャワー」が登場? 服を脱いで個室に入ると自動的に水や石鹸が出てきて体を洗ってくれる! ミスターBOOのギャグ?なんて思っていると、場面は一転していきなり北京の銭湯が現れる。「どうだ、いいアイデアだろ?」これが銭湯での与太話だったのだ。いきなり技あり! つかみOK!
(あとでこのアイデアのヒントがさりげなく出てきて笑ってしまう。気がつきました?)

北京の銭湯の風景。アカスリやマッサージ、お茶を飲んだりしてのんびり寛ぐ客たち。日本と様子が少し違うけれど、懐かしい感じがする。コオロギを闘わせて熱くなり、意地の張り合いをする老人二人とか、シャワーを浴びながらオーソレミオを熱唱する若者、夫婦喧嘩ばかりしている旦那等、キャラが楽しい。

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ラストプレゼント―娘と生きる最後の夏

――天海祐希版『生きる』は、黒澤監督も描かなかった三つの家族の「赤い絆」を描く。  
 余命3ヶ月と告げられた36歳の女性が、離婚して一度は捨てた娘に残してあげられるものは? 

 『女王の教室』のラストで真矢は死ななかった。すでにこの『ラストプレゼント』で死に臨むヒロインを演じていたので、同じような結末を避けたのかもしれない。しかし暗黒面に落ちる前の真矢(つまりダースベーダーのエピソード1)のキャラは、たぶんこの明日香みたいな、明るく活発な、そして少々わがままで不器用な(?)女性だったのかも。そのどちらも天海祐希のイメージにピッタリ来るのがスゴイ。

娘役に進藤ひかる役の福田麻由子、父役に天童しおりの父役の平泉成が演じているのも真矢の前世? しかし死がテーマの連ドラはさすがに気分が重くなる。深刻な場面の合い間に、あだち充『タッチ』風の軽いユーモアが挿入されて、泣いたり笑ったりで忙しい。

[以下ネタばれ。見てから読むべし!]

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ハルとナツ―届かなかった手紙

――引き裂かれた姉妹は「二つの日本」を象徴。平成版『おしん』あの感動よ再び。

まずは豪華な女優陣。
「女王の教室」の志田未来は、教育委員会の刺客・根岸季衣にいじめられ?家を飛び出して「ごくせん」仲間由紀恵に成長し、「トリック」の野際陽子へとつながる・・・
斉藤奈々は初めて名前を知ったが、確かどこかで見ているはず・・・今後要チェック!
「宮本武蔵」では、武蔵を愛した米倉涼子と小次郎を愛した仲間由紀恵・・・
そして「渡る世間は鬼ばかり」の森光子に、泉ピン子と野村昭子が友情出演。
男優陣もよかった。村田雄浩、斉藤洋介、井川比佐志そして柄本明・・・

これは橋田壽賀子の名作『おしん』の平成版である。
ハルが孫を連れて故郷に帰る導入部。
ぶらじる丸でのハルとナツが引き裂かれるシーンは、イカダの別れのシーンを思い出す。
ナツが辛い奉公先を出て、その後恩人とめぐり合い、そこで仕事を教わりながら事業を興し、成功して行く。しかしその事業もやがて曲がり角にさしかかり、息子と衝突してもう一度原点に戻ろうとする。
このように類似点が多いが、この作品を批判するつもりはない。後で述べよう。

さてブラジルに渡ったハルたちは、泥にまみれ、貧乏と戦いながら、自分たちの土地を耕してゆく。
そして日本人である誇りを忘れることなく、それを支えに生きてきた。
何をするにも家族が大事。農場を抜け出す時も、結婚する時もいつでもそうだ。ハル自身の結婚も父に反対されたが、ハルも息子の結婚相手がブラジル人であることに最初は反対した。(自分が受けた苦しみの仕返し?)家族の和を乱すことを嫌ったのだ。しかし最後は大家族に恵まれていく。

一方、日本に一人残されたナツは、家族から捨てられたという思いを持ちつつも、恩人から学んだ牛乳作りを軸に、やがて大きな会社へと育てていく。彼女は家族というシガラミ(あるいは日本人というアイデンティティ?)がないだけに、何でも実利的に行動できた。本家を飛び出したり、アメリカ人と一緒になろうとしたり、営業手腕のある男を夫としたり・・・とにかく生きていくために一番いい方法を選ぶしかなかったのだ。

しかし皮肉なことに、家族愛に恵まれなかったナツは、苦労して育てたはずの息子たちにすねをかじられ続け、結局会社も家庭も全てを捨てるはめになった。なんだか戦後日本の行き詰まりを象徴しているようだ。そんな中、突然姉ハルが訪ねて来ることで、ナツは今までの人生を清算し、今度はハルが息子たちを置き去りにして(自分が受けた苦しみの仕返し?)、70年前に行くはずだったブラジルに渡る決意をするのだった。

二人の姉妹はどちらも大変な苦労をし、大きな成果をつかみ取るのだが、生き方が実に対照的だ。ハルは戦前の日本人の生き方を、ナツは戦後の日本人の生き方を、典型的に表わしている。もしかしたら村田雄浩扮する忠治がナツの生き様を見たら、「この売国奴!」とか言って家の中に入れなかったかもしれない。それくらい生き方が違ってしまっている。

このまま見ると、戦後の日本が全否定されているようにも思えるが、決してそうではないだろう。
『おしん』から20年。日本はバブル崩壊を経て、繁栄の「豊かさ」と「むなしさ」を知っている。今こそもう一度『おしん』の精神に戻ろう、忘れてしまった日本人の誇りを取り戻そう。そういうメッセージなのだろう。それはそれで素直に受けようと思う。

ブラジル移民の方々のことは、こんなご苦労があったなんて、ほとんど何も知らなかった。
ブラジルに渡ったハルたちは、いわば日本の「分家」。ちょうどドラマの中の本家の人間みたいに、私たちは分家の人たちに冷たすぎたのかも。
海外から働きに来た外国人への差別ももちろんいけないことだ。
いろいろな事を考えさせられてしまう。

原作:橋田壽賀子 出演:上記参照
(2005年.NHK)

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女王の教室(最終話) 追記

――いい先生じゃなくてもいい。真矢は真矢のままでいいじゃん。それでも私は先生が好きです。(By和美、てへぇ。)

●いい教師? 悪い教師?
和美の夢オチ、由介のおばあちゃまの「もしかして先生の指導のおかげ?」、並木先生が見た真矢の部屋、教頭先生のあまりにも普通な授業?等のおかげで、どうやら真矢は「すばらしい先生」になってしまった。
でも真矢は自分のことを決して「すばらしい先生」だと思っていない。「悪い先生」だと自覚しているからこそ、必死になって子供たちの事を心配していたんだろう。だから和美の「本当はいい先生なんですよね?」という想定外の質問に「失礼な!」と感情的になったり、「仰げば尊し」には動揺して、目が宙を踊ってしまった。(あの驚いた表情は、鳥肌が立つくらい素晴らしかった!!)

先生がいいのか悪いのかなんて、もう野暮なことは言わないことにする。
だからラストシーンは、こうとも取れる。
「何があっても先生を辞めないんですよね?」
「当たり前です。」 (自分は悪い先生のままで、変える気は一切ありません)
「アロハってたくさん意味があるんですよ。・・・あと一つ何か知っています?」
「・・I LOVE YOU」(→和美が無理やり言わせたかった言葉。愛情確認)
「先生、アロハ!」
 (真矢は真矢のままでいいじゃん。それでも私は先生が好きです)
「・・・」(私もあなたたちが好きなのよ!)
第9話で和美がしおり先生に言った言葉通りでいいと思う。
皮肉なのは、「シオリちゃんはシオリちゃん」でなくなったこと・・・

●どうして勉強するのか? 勉強の成績で進学や会社や幸福までが決められてしまうのか?
やはり脚本の中で阿久津先生にきちんと言わせてほしかった。
先生は皮肉や遠まわしの表現、矛盾した内容が多いので、あれだけの説明で本当に納得したのだろうか?せめてあの場で本当に言いたいことをもっとわかるように言うべきだった。そうでないと、子供たちがまた騙されて「真矢のいいなり」になったように見えてしまう。
しかし「何でも先生のせい」にしてしまうのは能がないので、自分なりに解答例を考えてみた。
以下、蛇足だと思いつつ、書き連ねてみる。

「残念だわね。世の中は平等じゃないのよ。イメージできる? 昔は生まれつき身分が決まっていて、仕事なんか選べなかったのよ。今の世の中は、自由に仕事を選べるようになった。でもその代わり人一倍努力が必要なのです。漫画家しかり、サッカー選手しかり、努力しなくて他の人を感動させることができると思う?自分でやりたい事をやるには、周りの人を説得して、自分で責任を持ちなさい。」

「勉強は本来したいと思うものです。新しいことを見て、聞いて、感動する。それが本来の人間の姿です。大人になって知ったかぶりしている人が多いけど、いくつになっても勉強はしていくものなのです。あなたたちはその基礎を学んでいるの。漫画家になるにも算数や理科や医学の知識だって必要になるのよ。サッカー選手だって同じこと」

「そうね、たしかに勉強の成績だけで会社を決められてしまうのは変だと思うかもしれない。でもあなたが好きな会社を選べるように、会社の人もあなたを選ぶかどうか決める権利があるのよ。もしあなたが社長だったら、きちんと努力して成果を出せる人の方を選ぶわよね。試験はその一つの手段にすぎないけどね。」

「社会で優遇されている人は6%しかいません(←本当かどうかは知りません)。そういう人になるには、人一倍努力して競争社会に勝たなければなりません。でも6%の人だけが幸せかどうかは、先生にはわかりません。そんな先のことを心配するよりも今必要なことをやりなさい。今やるべき事をおろそかにする人は決して幸せになれません。」

「学校はテストをするだけの所ではありません。受験の技術を学ぶだけだったら塾だけで十分です。学校は社会に出て必要なことを学ぶところです。規則も大事、雑用も大事、友達も大事、みんなで力を合わせて何かをやりとげる事も大事。何も考えずに大人の言うことを聞くのは止めなさい。人の痛みをわかりなさい。自分だけ良ければいいと言う人にはならないでください。でももう、みんなはとっくにわかっているはずよね?」

脚本:遊川和彦
主演:天海祐希、志田未来
(2005年。日本テレビ系)

[関連作品]

女王の教室 スペシャル
ラストプレゼント―娘と生きる最後の夏

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女王の教室(最終話)

――続編よりは『女王の会社』『女王の国会』を作って欲しい。目覚めなさい、大人たち!

感動の最終回だった。最後はどうなるのかと、毎回楽しみだったが、期待を裏切らなかった。
途中も名場面、名ゼリフが一杯で、思わず涙が出てしまった。子供たちの明るさと力強さと演技力に感心。日テレのホームページの掲示板にも、毎日子供たちの頼もしい感想が書かれていて、楽しませてもらった。今度いい加減目覚めなければいけないのは、大人たちの番ではないだろうか?

前回書いた感想は、5話が終わって和美が由介との仲を取り戻し、真矢に立ち向かい始めたところ。真矢がいい先生なんて、まだ誰も思わなかったし、ドラマを止めろという意見も多かった頃だ。私は真矢の言うことは正しいこともあるのだが、間違いもたくさんあると書いた。
その感想は、残念ながら最終回が終わっても変わらない。

◎子供たちを目覚めさせるためと言っても、由介の家庭の事を公表したり、和美を孤立させたり、恵利花を追い詰めたり、私立組と公立組でケンカさせたり・・・そういう方法が正しいとは思わない。
◎「テストの成績で決めるのはおかしいです」と意見すると「要するに勉強したくないだけなのね」とはぐらかす。「そんなこと言っていません」とひかるが反論するのは正しい。
◎「なんで勉強するのですか」の質問に「勉強はしたいと思うものです」と答えたが、それならばどうして勉強の成績で進学や会社や幸福までが決められてしまうのか、という子供の根本的な質問に答えていない。子供は現実を知りたいのに真矢の理想はこうだと言ったり、子供が理想を言えば現実はこうなのよと答える。現実と理想が混在した、「要するに」真矢に都合のいい答えになってしまっている。
◎「私があなたたちにした以上のヒドイことは世の中にいくらでもある」という言葉には、真矢自身もヒドイことをしたという自覚はあるようだけど、教育のためならば、結果がよければ何でもアリなのか?

こうした疑問をドラマでは答えてくれなかった(それくらい自分で考えなさい!)。
真矢の指導(作戦?)通りに行き、みんなが明るく素直な子供になれたのは子供たち自身が負けないでがんばったからであり、単純に真矢が一番正しくて、他の天童先生たちが間違っているとは思わない。
でも私は十分満足だった。このドラマは問題提起がしっかりされていて、解決のヒントもたくさんある。
あとは私たち自身が教室で先生や同級生と話し合ったり、家で両親や兄弟と話し合ったりすればいい。

真矢自身も「自分が間違っているとは思いません」が、「自分を素晴らしい教師だと思ったことなんか一度もありません。どんな教師が素晴らしいのかも、まだわからない」と言っている。いつも完璧でありたい、自分の信念を通したい、だから子供たちから嫌われてもいい。いい先生だと思われるのも実は嫌なのだ。子供たちに「仰げば尊し」を歌われた時に素直に子供たちの前で泣いたって良かったのでは? 人に弱みを見せたくない、本当は弱い大人なんだ? きっと真矢の教育に何かが足りないからだと思う。

大人も完璧ではない。和美の母だって、真矢だって子供から教わることはあるんだ。
ラストシーンで真矢は、和美に「アロハ」の3つ目の意味を聞かれてぶっきら棒に「アイラブユー」と答える。和美はうれしそうに「アロハ」と挨拶をして立ち去る。和美は先生の本心を知りたかったが答えてくれない。せめて無理やりでも「アイラブユー」と言わせて、本当は自分たちを愛してくれた「いい先生」だったと確認したかったのだ。そして今度こそ真矢は和美の後ろ姿に「アロハ」と言ったのだった。

脚本:遊川和彦
主演:天海祐希、志田未来
(2005年。日本テレビ系)

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女王の教室

――「世界一受けたい授業」に続きまして、真矢コングの入場です!

おい!世の中のちゃらちゃらした小学生や親たち!
今日はお前らに言いたいことがある! よーく聞け!

一つ、勉強なんてしなくったって、世の中は生きていけるんだよって言う小学生。
生きていける?はぁ?
幸せになれる人は競争社会に勝ち抜いてきた6%の人間だけなんだよ。
あとの残りは、その人のために苦労して働いて税金納めて生きていくんだよ~このヤロ~

一つ、子供達の自主性を育てたい、自由が大事なんですって言う親や教師。
自主性?自由?はぁ?
だいたい世の中にはルールっていうもんがあるんだよ。ルールを無視する奴に自主性とか自由とかを与えるから、よけいルールが守られないんじゃねぇか~このヤロ~ (退場)

――「女王の教室」に続きまして、「エンタの神様」の本家○○コングの入場です!

おい!世の中のギスギスした黒服の先公!
今日はお前に言いたいことがある! よーく聞け!

一つ、授業以外で私に話しかけていいのは成績上位の2名だけです、って言う先公!
成績上位の2名だけ?はぁ?
お前は上位2名どころか、代表委員の由介や和美にも随分話しかけているじゃねぇか~
だったら真ん中の20名くらいの生徒にも脅すだけではなくて、少しはかまってやれってんだよ~このヤロ~

一つ、成績がよくても私に逆らってる限りバツを与えますから、って言う先公!
私に逆らう?はぁ?
だいたい成績の悪い奴に代表委員をやらせるって言ったのはてめぇだろ!
自分で作ったルールに例外を作っておきながら、私に逆らうなって言うのはおかしいんだよ~このヤロ~

一つ、トラブルを起こすような人がいたらグループ全員の連帯責任にします、って言う先公!
トラブルを起こす?はぁ?
そんな服装や喧嘩の監視なんかさせてる暇あるなら、グループ内で勉強教えあって、よそのグループより平均点が上がるように競争させた方が、よっぽど成績上がるんだぜ。
世の中、会社の中で自分が一番になるよりも、その会社が業界で一番にならなきゃ生きていけねぇんだよ。だから勉強の時だけは個人プレーさせて、風紀チェックだけは団体プレーって言うのがおかしいんだよ~このヤロ~ (退場)

と言うことで、女王様の言うことに正しいこともあるのだが、間違いもたくさんあるんだ。
『ごくせん』の時だって少し変だなと感じたこともある。
でもヤンクミは自分の間違いを素直に認めるだろうけれど、
真矢の間違いを指摘するのはむずかしい。
私、電影道士でさえ、○○コングの力を借りないと、本人の前では言えないのだ。
そう言えば、ドラマ『アタックNO1』の猪野熊監督もずいぶんと、選手をいじめていたけれど、
あれも愛情だったのか? 女王様の愛情表現も理解するのがたいへん。

でも私はこのドラマを高く評価したい。多少表現がえげつないし、こんな先生ありえない~ウソくさい~なんて思うけれど、現実の教育問題はもっと厳しいのでしょ?
ここで取り上げている問題を、クラス会でみんなで話し合ったり、家庭で子供と向き合うのも有意義なのでは。
このまま見たままだけだったら毒かもしれないけれど、10倍に薄めれば薬になる。

最終回がどうなるか、楽しみ。私はある結末を期待している。
途中で打ち切りになると、問題が一生解決しないまま、ずっと尾を引くことになる。
それこそトラウマになる。どうぞ、最後まで見させて欲しい。

主演の天海祐希は偉い。こんな汚れ役、よくぞ引き受けた。
エンディングのあの笑顔がなかったら、みんなあなたのことを誤解してしまう。
何ですか? 私の出身の宝○は、もっと厳しかった? なるほど・・・

脚本:遊川和彦
主演:天海祐希、志田未来
(2005年。日本テレビ系)

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シザーハンズ

――悲しみはやがて風化し、メルヘンになるのだが・・・

両手はハサミ、ぼさぼさの毛、白い顔、オドオドした目、よたよた歩く姿・・・
一度見たら忘れられないその姿、そしてメルヘンチックな音楽。
サーカスのピエロを連想するが、彼はれっきとしたアンドロイド。エドワードという名前もある。「悲しいピエロ」という言葉もあるが、エドワードも「悲しきアンドロイド」。

手の部分が未完成のまま彼は生まれた。(人間も未完成のまま生まれてくるんだが)
父なる発明家を失くし、古城で一人、孤独な生活。
化粧品のセールスをしているペグが同情して家に連れて帰るが、慣れない町の生活に失敗ばかり。その不器用さはコントとして見れば可笑しいはずなのに、なんだか悲しく見えてくる。

しかしペグの家族は皆エドワードに理解を示し、彼も家族のありがたさを身にしみて感じた。
やがて両手のハサミは不器用に見えるが、実は器用に使えることがわかり、植木職人から、犬の美容師、そしてカリスマ美容師へと変貌していく。

キムにはボーイフレンドがいたが、エドワードを蔑視し、悪事に加担させたりする。エドワードは悪いと知りつつも、キムのためだと思って手伝ってしまう。そしてやがて怒りとなり爆発する。彼が見せた初めての激しい感情表現。その裏側に、キムへの淡い思いの丈がちらりと見えた。

美しいクリスマス・イヴの夜の描写。
エドワードは幸せのはずだったのに、愛する人を間違って傷つけてしまう。
結局ペグたち家族以外からは理解されず、誤解が誤解を呼んで、彼は町を出て行く・・・

『野生のエルザ』という映画を思い出した。
動物保護官の夫婦はライオンの子供を育てるが、やがて野性に戻すことに・・・
でもエドワードには人間の感情を持ち合わせるだけに、もっと深い悲しみがある。エドワードのキムへの淡い思いって何だろう。キムが気づいた彼への思いって何だろう。失った時に感じる絶望感。エドワードが父を亡くした時にも、その悲しみが表情ににじみ出ていた。

時は過ぎ、キムは年を重ね、普通の結婚をし、普通の生活を送っていた。
どんなに悲しいことも、やがては風化し、美しい思い出、メルヘンとなっていくものだ。
なのにエドワードは年をとらない。もしかしたら死なないかもしれない。
もっと悲しいことにアンドロイドやロボットの思い出は、風化しないのだ。
そんなことを最近話題の浦沢直樹の漫画『プルートウ』から学んだ。
彼は、悲しみをそっくりそのまま、ずっと背負ったままで、一人で生きていくのか?
アンドロイドは初恋の夢を見るのだろうか?

監督: ティム・バートン  
    『バットマン』 『PLANET OF THE APES 猿の惑星』
出演: ジョニー・デップ、 ウィノナ・ライダー
音楽: ダニー・エルフマン
     『バットマン』 『スパイダーマン』 『メン・イン・ブラック』
(1990、アメリカ)

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Shall we ダンス?

――遠慮しないの!遠慮していたら何も伝わってこないでしょ? 恋愛もダンスも最初の一歩が肝心。

仕事帰りの電車の外でビルの窓辺に立つ女性、
いつも遠くを見つめる瞳が、気になり今日も外を見上げる。

過去数十年の通学・通勤の時間に、こんな経験は皆無である。
ただ言われてみれば、ダンス教室はよく電車から見えるし、もしこういう場面が仮にあったとしたら、自分が幸せだろうが、不幸せだろうが、人生に疲れていようが、幸せに飽きていようが、とにかく彼女のことが気になるだろう。そしてついには途中下車して未知の門をたたいてしまうに違いない。
主人公杉山の心情に自分がピタリとシンクロしてしまう。
(もしこれがヨガ教室や英会話教室でも同じだが、空手道場でも門をたたくだろうか?)

果たして気になる彼女(舞)はオーラを放ち、近寄りがたい存在であった。
(草刈民代の表情は硬く、演技に馴染んでいない様子で周りから浮いて見えた。それが演出効果かどうか、結果的に観客は彼女との距離感を意識してしまう。)
杉山も何日目かに、ようやく舞から指導を受ける。これはチャンスとばかり、思い切って食事に誘うが、キツイ言葉で断られてしまう。普通ならここで辞めてしまいそうなものの、彼はダンスを続ける。

彼女にも苦い過去があり、そのわだかまりが清算できていないというのが、だんだんわかってくるが、ようやく笑顔を見せるのは、小さな女の子が一生懸命踊っているところを見た時だった。
大会が近づき、杉山は再び舞から指導を受けることになる。
「遠慮しないの!」 舞が今までに無いような大きな声で叫ぶ。
「リーダーはね、体全体を使って相手にどう出るのか伝えなくてはいけないの! 遠慮していたら何も伝わってこないでしょ?」
やる気を失せていた舞が目覚める瞬間であるが、同時に草刈が映画の中で息づいた瞬間でもある。

そして冷たく見えた舞(草刈)の表情が、どんどん豊かになって行く。
白板を前にして凛として大会への緻密な戦術を説くあたりや、誰もいない教室で何も考えずに一人で楽しそうに踊っている様子、どの場面も彼女の魅力を存分に引き出している。

脇役もみんな生き生きしているし、演技もダンスもすばらしい。
特に大会で竹中演じる青木が「カツラなんか気にしているからよ」と言われて、カチンと来てカツラを床にたたきつけ、まるで別人のように踊りに気合いが入るところ。たま子先生の「カツラが取れて・・・」の台詞は涙が出てくる程決まっていた。

大会が終わり、彼女は一から出直そうと留学を決意する。
お別れパーティーで、杉山を待つ彼女の憂鬱とした表情。パーティーに行こうかどうか迷いつつ、パチンコで時間をつぶす杉山。どちらも描写が細かく、うまいなぁと思う。
「舞さんのラストダンスのお相手は?」 そして大団円。

ストーリーの中で唯一嘘っぽい存在、りアリティがないのが大人しすぎる杉山の奥さん。
浮気を確信して興信所にたのむのもアリだし、ダンス教室に通っていると知ってもまだ疑心暗鬼なのもアリだろう。浮気の相手が「ダンス」だったと知って「でもやっぱり浮気だわ」というのも正しい。
でも家庭内のゴタゴタは、こんなきれいごとでは済まないはず。そんな健気な奥さんおらへん!
リメイク版がそこに気づいたのかどうかは知らないが、夫婦愛に重点を置いたそうだが、そうなるとこの映画が描きたかったことと別物に変わってしまう。(だからまだ見ていない)

嘘と言えば、私は杉山にシンクロした結果、彼の無意識の嘘にも気づいてしまった。
「あなたを見返してやろうと思って続けているうちに、本当にダンスが好きになってしまった」
本当にダンスが好きになってしまった~? はあ? 
だったらなんで大会が終わってからもダンスを続けないんだよ~と、ツッコミを入れたくなる。
彼女の憂鬱な表情に魅せられてダンスを始め、ダンスに熱中することが彼女を助けることになる。そんな図式を彼は全く気づかないはずはない。少なくても大会で奥さんに見られた瞬間、気づいたはず。
お別れパーティーに行こうとしなかったのも、舞への言い得ぬ思いがあるからだ。

女性からはこの映画って、どう見えるのか? 舞にシンクロして見ているのかな?
この映画は舞が本当の意味での主人公で、一人の中年男性との出会いをきっかけにした彼女の成長物語なのである。彼への手紙には、誰にも打ち明けることのなかった舞の内心が素直に書かれてあった。
自分を立ち直らせてくれた中年男性への感謝と信頼と淡い恋心?そして別れ・・・
その万感の思いが最後の舞の「Shall we ダンス?」の言葉に込められている。それは恋とは言えないかも知れないが、明らかに、許されない男と女の物語なんだから・・・

[蛇足]
主人公杉山は、周防監督の分身でもあるはずだ。
ふと電車の窓からダンス教室の看板を見て、引寄せられた思い。
バレリーナ草刈民代との出会いと距離感。肘鉄をくらったかどうかは知らないけど、その後の彼女との距離がどんどんと縮まり、映画にはないハッピーエンド!
下世話な話で申し訳ないが、監督の内面と映画の展開が見事にシンクロしている感じだ。
今度はぜひ、彼女との家庭を題材にしたラブコメディー映画を作って欲しいと、心待ちしている。

出演:役所広司、草刈民代、竹中直人、渡辺えり子、草村礼子
監督:周防正行 『ファンシーダンス』 『シコふんじゃった!』
(1996、日本)

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アタックNO1

――永遠のアスリート鮎原こずえ、ついに実写版で登場。ちょっと複雑な心境。

鮎原こずえ様 お元気ですか?
私がこずえさんの事を知ったのは映画館で『アタックNO1』を見た小学生の時でした。何かのゴジラ映画と同時上映だったのかな。
東京からの謎の転校生、姉御肌、成績抜群、スポーツ万能、実は病気の体・・・
これだけでも少女マンガの王道を行き、充分そそられるのですが、やはりあなたのバレーボールへの並々ならぬ情熱には今でも頭が下がります。
「わたしって、バレーが無かったら、ただの空気みたいなの・・」
そんなあなたが、数々の試練を一つ一つ乗り越えていく様は、拍手喝采でした!
落ちこぼれチームを率いてのバレー部との初試合、早川さんとのキャプテンをめぐる確執、四天王との衝突とチーム分裂、県大会出場、そして全国大会での垣之内さんとの優勝争い。
しかし私が映画版で見たのはここまで。家では照れくさくてTVを見れなかった。途中の努さんの死という厳しい試練や、ジュニア世界選手権、八木沢三姉妹の三位一体の攻撃など、名シーンは知らずに来てしまった。

ようやく見始めたのは、後半のコンピュータ学園と異名を取る某高校との試合の頃。
あなたはその前の試合で八木沢三姉妹の末っ子桂さんに集中打を浴びせ、その結果彼女はバレーを二度とできない体になってしまった。バレーを捨てようとまで悩みに悩んだあなたに、彼女はくやし涙を流してこう言いました。
「コンピュータに負けてベンチに下ろされる鮎原さんなんて、うちのライバルじゃない!そんな根性の無い奴はうちがたたきのめしてやるわ!」
自分の体のことを一つも言わずに、ライバルをここまで称え、気遣える桂さんも実にすばらしいアスリートだと思う。あなたもその言葉に応え、見事に立ち直りましたね。

その後、破傷風で死にそうになったり、意中の人との皮肉な出会いを経て、全日本に入り、宿命のライバルであるソ連チームのシュレーニナとの一騎打ちと、栄光の階段を駆け上がって行く。そんなあなたの活躍を、私は心から応援したものです。再々再々放送くらいでやっと見逃した部分を全部見ましたけど、あの後、実業団チームに入ったという噂を聞いたきり、あなたのことをずっと忘れていました。

近頃なぜか「巨人の星」「あしたのジョー」のマンガ復刻版、「エースをねらえ!」の実写版等々、スポ根モノが流行り出した矢先、「アタックNO1」までが実写版で登場すると聞いてたいへん面食らいました。再漫画化もされているようですし。
あなたはちょっと年上の憧れの人だった。私はいつの間にかあなたの歳をとっくに追い越し、実写版のこずえさんは、自分の娘くらいの年頃。これでは違和感があっても仕方ないでしょう。応援する意味合いが当然変わってくるし。
それでもあなたは今でも高校生のまま、そこで永遠に輝いているのです。初恋にも似た感じかな、と思ったりもします。あぁ~、言うんじゃなかった・・

[蛇足]
童謡歌手で、鮎原こずえの声を担当した小鳩くるみ氏は、その後「マザーグース」に興味を抱き、イギリス留学を経たのち、現在鷲津名都江という本名で某大学の教授をしているそうです。去年NHKでマザーグースの講座をやっていました。

原作:浦野千賀子
(1969~1971(全104話).フジテレビ系)

関連作品:黒澤明 『一番美しく』

[追記]
私も実は香さんのことが気になっていて、こずえさんに宛てたはずの手紙が、今読み返すと、八木沢三姉妹のことばかり書いていますよね?
「私の木の葉落としや、消えるアタック、竜巻落としの事は、どうして書いてくれないのよ?!」と平手打ちをもらいそうな・・・
続きはまたいつか書こうと思っています。2006.1.22

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生きる

――極太の人生観。深刻な中にも忘れないユーモア。そしてラストシーンの意味は何?

妻に先立たれながらも男手一つで息子を育てながら、市役所に30年間まじめに勤務する渡辺課長。ナレーションは主人公の紹介をしながら、この男は「生きているとは言えない」と突き放す。ある日課長は自分が末期癌であることを知り、絶望の淵に突き落とされる。ここから物語が始まる。
(この人のどこが悪いんだ!ごく平凡にまじめに生きる人たちを断罪することに少々異議はある。)

息子に打ち明けようにも言葉が出てこないで、どうでもよい世間話しかできない。
死の淵から逃れようと酒に頼ろうとするが、すぐ吐いてしまって酔うこともできない。見かねた三文文士(死語かも?)が、ゲーテの「ファウスト」に出てくるメフィストを気取り、浮世の快楽の世界へといざなう。注目すべきは制作当時(昭和27年)の、手打ちのパチンコ、キャバレー、バー、ダンスホール、ストリップなどの大衆娯楽が垣間見られることにある。今とは随分違った雰囲気で、映画の主題と離れて楽しめる。

ダンスホールで勧められて歌った「ゴンドラの唄」は、まさに死の淵を見据えた、この世のものとは思えない歌いぶり。目頭が熱くなってくる。すぐさま三文文士は課長を引きずって場を離れようとするが、その時の歌い方は一転して普通のどうしようもない酔っ払いのおっさんだった。その落差が妙に可笑しい。タクシーから飛び降りて吐く課長。あんなに騒いでも虚しさに心が晴れる様子は無かった。(ここは納得)

二日目。部下の女の子にばったり出会う。彼女は辞職届に判を押し