e)歴史物

隠し砦の三悪人

――血沸き肉踊る冒険活劇。でも、何か見逃していないか? 隠し砦に何かがある。

時は戦国。又七、太平のいがみ合いで始まる冒頭は、『スターウォーズ』であまりにも有名。
手柄を立てようといくさに出たが、散々な目に遭って逃げ出した二人。お互いに相手をなじり、隙あればうまい話を独り占めしようとする、強欲のかたまりのような二人。

その二人は偶然拾った薪の中の金塊がきっかけで、六郎太を手伝って金二百貫を運ぶ羽目になる。二人は六郎太が金塊を不正に手に入れたと思ったからだろうか、最後まで隙あれば横取りすることばかり考えていた。もっとも六郎太の正体を知ったところで、彼らに忠義心があるかどうかは疑問であるが。

出発直前、六郎太が妹を雪姫の身代わりとして役人に差し出したことを、雪姫はなじる。「妹を殺して涙一つ流さぬ、その忠義顔! 嫌じゃ!」と言い残し、怒って出て行く。側にいた姥は、そういう姫こそ涙も流さずに六郎太を責めるのは姫のわがままだと嘆く。しかし雪姫はそのあと、山中で人知れず大粒の涙を流して泣くのであった。

親兄弟、味方や主人にさえも騙し、殺しあう、この乱世の時代。
六郎太が妹を犠牲にしてまでも姫を救ったならば、これ程までの忠義心はないはずだ。しかし姫がそこで泣いてしまったら、六郎太の立つ瀬が無い。彼女は領主としてこの非情な選択を受け入れつつ、その無情さに言い得ぬ怒りと悲しみを感じた。だからこそ一人で大泣きしたのだ。16歳の姫にとっては大きな試練である。
はたして忠義心とは何か? そのためにはどんな犠牲も仕方ないのか? 吹っ切れない何かが残る。

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一番美しく

――日本人が忘れてしまったかもしれない「美しさ」と「恐ろしさ」を描いた記録映画風の映画。

戦時下、兵器のためのレンズ工場で働く女子挺身隊(工員)たちの物語。

所長(志村喬)は訓示として、工員たちに工場が「特別増産体制」に入り、男子は10割、女子は5割の増産を目標として奮闘するように告げる。女子工員たちが不満げに言ったのは、目標が男子に比べて低すぎる、せめて2/3にして欲しいとのことだった。

要求通りに目標は上方修正された。集団生活の中で微熱を隠してがんばる者、骨折して国に帰ることを悔しがる者、皆それぞれ無理を押して増産に励むが生産は向上しない。やがて仲間割れが起き、彼女らをまとめる渡辺班長(矢口陽子)の心労は重なる。彼女も故郷にいる重病の母のことを隠し続けた。

ある日渡辺班長は自分の過ちで不良レンズを見逃してしまう。責任を感じて徹夜で一人不良レンズを探す渡辺。見守る所長と寮母のまなざし。夜明け間近、そのレンズはついに見つかった。
 
[感想]
戦時下の国策映画であり、お国のために自己犠牲で働く姿を「美しく」描いている。
それ故に戦争を美化していると、戦時下だったとは言え、のちの評論家の反発は大きいようだ。
確かにこの女工たちが一体何のためにがんばるのか?と言えば、
故郷の親のため、兵隊さんのため、お国のためと答えるしかないだろう。
どんなに働く姿を「美しく」描いても、戦争は決して許されることではない。

しかし黒澤本人は監督第2作目で、オリジナル脚本でもあるこの映画のことを非常に気に入っているという。
この作品は国策映画にもかかわらず、不思議と黒澤監督の指向性がはっきり出ている。
それは崇高なものへの憧れと、それに自己犠牲を払ってまでも近づこうとする献身的努力。
監督第1作の『姿三四郎』に始まり、『わが青春に悔なし』『静かなる決闘』『生きる』『七人の侍』『赤ひげ』までと続く黒澤作品群前半の大きなテーマである。『一番美しく』もこの系列に加わり、オリジナル脚本の最初の監督作品であるとともに、後の作品の萌芽をあちらこちらに感じ取れる。監督のお気に入りであるのは察しがつく。

上に挙げた黒澤監督の一連の作品群は『赤ひげ』(’65)で終わってしまうが、その熱き魂はTVや漫画のスポーツ根性もの(スポ根)へと点火されて継承されていったと考えている。もちろんその背景として’64の東京オリンピックや、プロ野球のON時代の幕開けを筆頭とするスポーツの興隆があるだろうし、社会全体が高度成長期に突入し新たなる「特別増産体制」が始まったからだとも言える。戦争ではない、新しい目標に近づこうとし、献身的努力が改めて「一番美しい」とされたのだろう。

この映画を見た時、主人公の渡辺班長に懐かしさを感じたのはなぜだろうか?
生産活動の合間に、鼓笛隊の練習とバレーボールの遊びのシーンが繰り返し出てきた。
後になって考えると、『アタックNo1』の鮎原こずえとダブらせて頭に浮かべていたのに気づいた。
いつもキャプテンとしての重圧を背負ってチームをまとめ、仲間をかばったり、時には皆からひんしゅくを買ったこともあったし、試合のために好きだった努君の死に目にも会えなかったし・・・
あっ~、完全にキャラがかぶっているじゃないか!

バブルがはじけて、もはやひたむきに頑張る時代は終わったようで、献身的だの根性だのは「超だせぇー」と言われて久しい。しかし日本人の美意識がそう簡単に変わるとは思えない。むしろ今でも心に深く根ざしたものだと思っている。ダサいはずのスポ根が、現在少しずつ復活していることからもそれは感じ取れる。

一番恐ろしいのは、その美意識だけが一人歩きしてしまうこと。
当時の兵隊さんだって、この映画の女工さんだって、みんな家族のために、お国のために頑張ったのだ。
自分たちの掲げた目標のため、あるいは故郷の両親のために、さらにはもっと崇高なもののために、ひたむきに頑張って作っているのが、戦争に使うためのレンズだなんて、考えてみればあまりにも残酷な話だ。
でも実際にそうだったのだと、この作品は記録映画のような語り口で語っている。
いやむしろこの作品自体そのものが、忘れ去られる国策映画という存在を「記録」している「映画」なのだ。
しかしこれがけっして遠い昔話ではないことを忘れてはいけないと思う。

[蛇足]
このヒロイン渡辺班長を演じた矢口陽子が、翌年には黒澤夫人となる。
撮影の前後でも本当の班長みたくて、みんなの意見や要望を代表して黒澤監督によくかみついたらしく、
そんなところが監督の心に留まったんでしょう。
 
監督:黒澤明
出演:矢口陽子、志村喬、入江たか子
(1944年・日本)

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がらくた

――戦国時代、南の孤島で花開いた、身分を超えた男と女の夢物語。もしかしたら、あの大河ドラマの隠し味?

[物語]
戦国時代、堺のある豪商の家で美しい姉妹、蒔絵と緑の婿候補として、公家と武将の二人が招かれ、舟遊びが催される。しかし嵐に遭って船は難破し、一同は南の孤島に漂流する。
残り少ない食料と水をめぐって、豪商・公家たちと下働き・船乗りとの間でいがみ合いが起きるが、下働きの勘三郎(市川染五郎、現・松本幸四郎)の働きで、彼らは身分や男女の分け隔てなく、力を合わせて生きていくことになる。
そんな勘三郎に蒔絵と緑はしだいに心を寄せるようになり、おのずと波風が立ち始める。
やがて食料が底をつき始め、再び争いが起き始めたその矢先、折りよく近くを船が通り、彼らは助けられるのだが・・・

[解説]
ケーブル、CSで今月まで放送された《黄金の日日》の関連映画。いろいろな類似点がある。
市川染五郎が同じ戦国時代、堺の豪商の下働きという設定。
船が遭難して孤島に着く。そこは、楽園であり、身分を忘れた生活を送り、
市川染五郎演じる下働きは豪商のお嬢さんと恋に落ちる。
やがて、元の世界に戻っていくが、そこには身分の違いが歴然として存在している。
そして再び自由を求めて、市川染五郎は海を目指す。お嬢さんは・・・

《がらくた》で、一瞬だったので、はっきりしないけれど勘三郎が堺に入ろうとした時にさし出した手形に、納屋何がしと書いてあったようだった。つまり勘三郎を助けた船長(ふなおさ)は、納屋何がしだったということならば、《黄金の日日》と同じ後見人だ!

無人島と男女と身分のテーマは《流されて…》 (1974、イタリア)等、よくあるようなお話。
《黄金の日日》(1978)は、スケールもテーマも全然違うが、ここまで似ていると偶然とは思えない。
この大河ドラマについては、思い入れも大きいので近く改めて書こうと思う。

出演:
市川染五郎(現・松本幸四郎)
大空真弓、星由里子、有島一郎、中丸忠雄

(1964年、日本)

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写楽

――平成の役者が束になってかかってもかなわない、絢爛豪華な寛政文化の虚と実。

[物語]
真田扮する役者十郎兵衛(トンボ)は、舞台の上で縦横無尽にトンボを切る立ち回りで大人気だったが、ある日舞台上での事故で片足の自由を失い、職を失った。
彼は絵を描くのが好きだったことで、裏方の大道具の仕事にありついたが、昔の役者仲間には無視される始末。
一方、浮世絵の版元蔦屋重三郎(堺)は、お抱えの天才絵師歌麿(佐野)に逃げられ、彼を見返すために新しい絵師をさがし回る。そしてトンボの筆遣いに見初め、役者絵を描かないかと誘う。絵は当たり、一躍大人気となるのだが・・・

[見所]  
「写楽は誰か」、よく歴史ミステリーとして出てくるが、フランキー堺自身が生涯暖め続けたライフワークでもあったとのこと。まさに「孵卵器ー堺」だ!

この映画は謎解きの面白さ以上に、当時の歌舞伎小屋や、浮世絵師たち、遊郭の様子、お上の改革などが生き生きと描かれている。

片岡鶴太郎、竹中直人と「濃いー役者」ばかり集めているのに映画が重くならない。むしろ絢爛豪華な寛政文化を支えた多くの個性派芸術家たちを演じるには、まだまだ力量不足かもしれない。 これだけ役者が束になっても、名前負けしてしまうのだ。
(ちなみに新藤兼人監督『北斎漫画』は、緒方拳主演に、西田敏行、宍戸錠がいて、フランキー堺も出ていた)
 
[感想]
謎の写楽が、こうした「濃いー役者」ではない真田広之なのが、妙にリアルである。しかし幼名を何と言ったか、どうして役者になったのか、映画ではわからない。父の顔を知らず、母を幼い時に亡くしたようだと後からわかるのだが、そこから人気役者にどうたどり着いたのか、よくわからない。

映画は、ようやく手にした栄光の花道から転がり落ちて行く、運命のその日から始まる。
人気役者、齋藤十郎兵衛という名前も失った。旅芸人(岩下志麻)から名前を聞かれるが、黙っていたら、「舞台でトンボを切るからトンボ 」という名を付けられる。もうトンボを切れない身体なのに何とも皮肉な名前である。

トンボがかつての役者仲間から無視されて、屈折していく心情、すごくわかる気がする。
好きな絵がなかったら、もっともっと落ちていったんだろう。
旅芸人や蔦屋から仲間にならないかと誘われても、「しゃらくさい!」と最初は一蹴してしまう。
それで今度は、「江戸を意味する東洲と、しゃらくさいを付けて、東洲斎写楽」になってしまう。
私には絵はよくわからないが、彼の役者絵が妙に似ているのに、醜くて嫌らしくしてしまうのは、世の中を斜に構えて見ているからだと思う。おいらん(葉月)との出会いが、わずかながらトンボの心を癒すことになる。

天才絵師歌麿(佐野)は、囲っていたおいらんの裏切りと、写楽の絵に対する嫉妬で逆上し、権力を振り回して二人を無理矢理に吉原から抜け出るように仕向ける。これは掟破りで、すぐにつかまり、トンボは半殺しの目に合い、女は女郎屋に売り飛ばされる。こうして二人は引き裂かれて、共に抜け殻のようになってしまう。歌麿 も思い通りに復讐できたが、彼女に与えた選択が自分を捨てて出ていったことに大泣きする。

写楽は確かに才能と運はあったのだろう。役者としても絵師としても成功した。でもいつも隅っこにいるだけで、存在感が希薄すぎる。名前だって随分いい加減に決められてしまうし、駆け落ちだって人に強要されて否応なくする。これを「濃いー役者」ではない真田広之が演じている。そこが妙に等身大でリアルなために、他の「濃いー役者」たちが演じる絵師が、全部嘘っぽく見えてしまうのかもしれない。

唯一実在感があるのは、フランキー演じる蔦屋だけである。お上に楯突き、歌麿を見返そうと躍起になり、そして人生を全うする。その生き様は、 フランキー自身なのであろう。

原作:皆川博子
監督:篠田正浩
出演:真田広之、フランキー堺、岩下志麻、佐野史郎、葉月里緒菜
(1995・日本)

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陰陽師

――なんてったって、萬斎がはまり役。でももったいないな~

萬斎の背筋をピンとはり、呪をとなえる様は妖しい美しさがある。
衣装も豪華、CGを使って再現した京の都に行き交う人々と牛車、まさに平安絵巻。こういう絢爛豪華なシーンは、小説や漫画だけでは頭に思い浮かべることはできない。 もうちょっといろいろ見せてもらいたかったけれど、まぁ無理か。
敵役の真田広之の迫力に圧倒、CMでも使われた「おのれ~晴明!!」と憎悪を燃やすシーンは、武者震いがするねぇ。
 
原作は陰陽師晴明の事件簿といった感じで短い挿話を連ね、晴明と博雅の絶妙な掛け合いと、人々の悲しい性(さが)をほろりと描く、独特の渋味がある。小説も漫画もおすすめ。

映画ではもっとわかりやすく見せるために、陰陽師VS陰陽師という展開にしたのだ。
これはこれで悪くないし、絵としては面白かった。

でもこれではあまりにも、「帝都物語」と似ていないかな。
同じような術を使っていたし、都の平和を守るという大義名分も・・

「帝都物語」は帝都建設の推進派と旧派の戦いという歴史の転換期におけるダイナミズムが描かれている(はずだった)が、こちらは、朝廷での権力を狙う野望と正義の対立。話が小さい、小さい。

クライマックスも、晴明の術が早すぎる。もっと引っ張らないと。
途中から真田広之の道尊が呪術を捨てて、刀で晴明を殺そうとしているが、これは反則だろう。 真田さんの剣術はかっこいいけれどね。

博雅がやられて、晴明がさめざめと涙を流すのも、あまりいただけない。陰陽師は生死が入り乱れる無常の世界にいるので、涙を流してはいけないのだ。

ここまでいい役者を使って、もったいないな~
ちょっと惜しいけど、好きな映画。

原作:夢枕獏/監督:滝田洋二郎
出演:野村萬斎、真田広之、伊藤英明、小泉今日子
(2001・日本)

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