4)ドラマ

ひまわり~夏目雅子27年の生涯と母の愛

――「伊集院雅子の生涯」彼女の人生そのものがドラマである。仲間由紀恵が良い。ふと見せる表情が怖いくらい夏目雅子。

夏目雅子という一人の女性がどう生きたか、女優として、娘として、妻として。
母の手記という視点ではあるが、実に生き生きと描かれていた。

娘の将来を想い、女優業に反対しつづける母の願い。
大好きな母にどんなに反対されても、弱音を吐かずに女優を続ける雅子。
口と一緒に手も出る母に対して、気丈に自分の意思を押し通す。
彼女の演技にもし何かを感じるとしたら、それは母譲りの芯の強さのせいかもしれない。
母娘ってたいがい、よく似るもんだから。

それにひきかえ、控えめで気配りが出来て本当に優しい父。
アッシー君?をやりながらさり気なく娘を気遣い、今度から電車で通うと言い出す娘にちょっと寂しげに笑う父親。
雅子は間違いなく父親のDNAも引き継いでいる。
父娘ってたいがい、よく似るもんだから。

余命幾ばくもない父に気丈に演技をし続ける雅子。
死んだ父に静かに言葉をかける母。
そんな姿までも「芸の肥やし」にしてしまう雅子に激怒する母。
人間の喜怒哀楽、美しさも醜さも演じていかねばならない俳優って因果な商売。
「難しいから面白いんじゃない?」

女優になりたかったのは、母の気を惹きたかったから?
人間ってそんな単純ではない。でもそれもよくわかる気がする。
反対されたからあんなに頑張れたのだろうし。
せっかく母の理解も得て、旦那さんとの愛も、女優としての地位も得て、これからというはずなのに、残念でならない。彼女の人生そのものがドラマだった。

仲間由紀恵が良い。三田佳子、岸部一徳の脇ももちろんだが。
実在の人物、しかもまだみんなの記憶にある女優を演じるなんて、半端な気持ちではできない。あのポスターは愛嬌だとして、出演作のワンカットは結構似ていた(ファンサービス)。時々夏目雅子が憑依したようで、ふと見せる表情が怖いくらい夏目雅子。あれは演技を超えていた。
彼女も今年27歳。夏目雅子が逝った歳である。どういう女優かほとんど知らなかったそうだが、あの女優魂は見る側よりもずっと強く彼女の心に刻み込まれたに違いない。これからもいい演技をして欲しい。

原案:『ふたりの「雅子」』(小達スエ著.講談社)
出演:仲間由紀恵、三田佳子、岸部一徳、緒形直人
(TBS.2007)

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レインボーマン

──人類愛のために戦い続ける男。まさに究極のボランティア精神、愛の戦士ヤマトタケシの苦悩と限界。

レインボーマンが放映された1972年~73年の頃は、今思うと日本には劇的な変化があった。1972年の日中国交正常化を受け、親善大使としてパンダが来日したこと、1973年の『燃えよドラゴン』公開に始まるカンフー・ブーム、これらは戦後生まれの私が、初めて中国という隣国を意識する最初のきっかけとなった大きな出来事である。

そして73年第四次中東戦争を起因とする石油ショック。『日本沈没』『ノストラダムスの大予言』が大ブームになったのも73年。1974年公開の『エクソシスト』が巻き起こしたオカルト・ブーム。畳み掛けるように発生した一連の流れは、戦後の右肩上がりの高度成長が一段落し、またアメリカの外交政策が転換期を迎え、日本のアジア外交も・・・で、何だっけ?

そうそう、レインボーマンの登場はこうした流れの中にあり、アジアのもう一つの大国インドの存在を気づかせ、ヨガの超能力ブームを牽引した。「インドの山奥で修行して」で始まる主題歌は非常にインパクトがあり、子供心にヨガを習ってみたいと思ったものである。実際にヨガの入門書を小遣いで買ってはみたが「独学は危険なので、きちんとした指導者に」という言いつけに従い、未だに修行は始めていない。しかし志を捨てきれずに独学で「電影道士」になった次第である。

「死ね死ね死ね死ね死ね」を繰り返すエンディングの「死ね死ね団のテーマ」という歌も強烈だ(カラオケ屋さんにもあった!)。日本人抹殺を合言葉に結成された秘密結社。平田昭彦演じるロマンスグレー?の首領ミスターKはツボにはまっていた。塩沢とき演じる魔女イグアナもお見事。彼らがいったい旧大日本帝国軍の被害者たちなのか、それとも当時のアジアとの貿易摩擦に憤慨しているのかは不明だが、同じアジア人(?)からの糾弾であったのは意味深である。

しかし理由はともあれ、彼らの手口の狡猾さと卑劣さは許しがたい。人間を凶暴にする毒薬の配布や、偽宗教団体を隠れ蓑にして偽札をばら撒き、日本経済を大混乱に陥れたりする。挙句の果ては戦闘機を飛ばしたり、地底戦車で人工地震を発生したり、究極は同時爆破テロまでも。石油輸入を阻止したり、要人を誘拐して日本の国際的信用を貶めたり、子供向け番組にしてはリアルすぎるねぇ。

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トップキャスター

――敏腕弁護士、鬼教師、そして今度は伝説のニュースキャスター。新しいキャラクターの登場か?

信念を持って仕事に生きる女性を演じるとしたら、きょうび天海祐希の右に出るものはいないだろう。世の中なんて、どうせ自分の思い通りにならないや!と半ば諦めている我々にはまさに救世主。
(わぁ~、平成のジャンヌ・ダルクやぁ!! By 彦麻呂道士?)
それは男性から見ても、一回り下の世代から見ても、かっこいい!と感じさせる女性像。
今度の椿木春香は、阿久津先生のように極端に走らないが、充分に型破りで、恐れを知らずに突っ走るタイプ。頑固で、負けず嫌い、意地っ張り・・・まぁいい意味で。

最初は周りの人間も彼女のやり方に批判的だったが、次第に彼女のペースに巻き込まれていく。
「私は報道なんかに興味ありません!」というアシスタントの飛鳥望美も、「椿木さんみたいになりたい」と言うようになる。
クールな取締役結城雅人も昔の報道マンとしての情熱を取り戻したようだし、権威に弱いお調子者の石場プロジューサーも、とうとう椿木の味方になり、チームを団結させる。そして行き過ぎる椿木をやんわりとたしなめるのは、児玉清演じる局長。いい味出している。

そういう仕事第一主義の椿木も一方では相当お茶目で、家のことはいい加減だし、「恋のイロハは見当つかぬ」様子だし、この辺りは天海が今まで演じたキャラに少々かぶっている。まぁ良しとしよう。

「誰も知らないニュースを取り上げましょう!」
スクープのネタには多少社会性のあるものもあったが、まあ週刊誌ネタっぽいのが多い。最初の頃の医療ミスやインチキ占い師、メール疑惑等は、まあまあパロディになっているかな。野球部不祥事や役所の職員の話は「あり」かもしれないが、はたしてスクープなのかな?
「報道とは人の心を扱う仕事」だから、こういう小さな事件も大切に報道するのだろう。しかし一番大きなスクープが、自社の会長の贈賄疑惑だというのは皮肉な話だが。

回を重ねるにつれて事件そのものよりも、それを扱うスタッフの内面が強調されてくるようになった。となると、このドラマの主眼は「報道する人の心を扱う」教育ドラマだったのか、と気づいた。
つまり最終回を待たず、「誤報」を恐れずに言えば、このドラマはようするに・・・

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女王の教室スペシャル

――説得力のある構成。教育の現実と向き合ったグレー真矢の熱血さがすばらしい。でも・・・・

正直なところ、スペシャルであまり真矢をいじって欲しくなかったが、もう本編を作っている段階から全ての構成を考えていたらしい。説得力のある構成で、真矢の全体像がこれではっきりした。封印された真矢の過去は予想を上回る壮絶な戦いだった。彼女の言葉の一つ一つは、あのような凄惨な過去からにじみ出ていたわけだ。

教え子に裏切られ、同僚たちからも信用されず、子供を死なせ、夫とも理解し合えなかった。そんな絶望の淵に立たされ、死と向き合った彼女が、初めて教師としての天命を知る。そこから逃げられない、自分が教師をまっとうしなければならない宿命を。

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キッチンウォ-ズ

――働く女性の現実と、家事をしない男性への警鐘。『ラストプレゼント』の別バージョン。

またもや天海祐希のレビューになる。(隠れファンなのが、ばれてしまう?)
『ラストプレゼント』の佐々木蔵之介が、またもや同じ夫役で息もぴったり、はまり役。
・『ラスト~』との対比を(◎~◎)で書くので、読みたい方はマウスをドラッグして下さい。
・『女王の教室』との対比を(○~○)で書くので、同様にマウスをドラッグして下さい。

真琴(天海) がイタリアに一人出張するキャリヤウーマンとして、さっそうと登場。イタリアの食器メーカーの重役とイタリア語で堂々と交渉し、日本での独占販売権の仮契約に成功する凄腕。
家に帰ると「専業主夫」の哲也( 佐々木) と小学生の娘が笑顔で出迎える。キャリヤウーマンの妻を支えるために、自ら内助の功に徹する夫。何の迷いもなく誇りさえ持っている。随分進んだ家族像だと思った。まだまだ世間の目は冷たいが、「専業主夫」という選択肢もあっていいと思う。なのに真琴は夫を仕事が苦手で家事に逃げ込んでいると思っている。それにしてもエプロン姿がよく似合う佐々木である。
(◎育児が苦手で離婚した明日香。聡はわがままな明日香をずっと許さなかったが、今度は笑顔で出迎えた。こんなに妻に理解があれば離婚話はなかったろうに。◎)

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ラストプレゼント―娘と生きる最後の夏

――天海祐希版『生きる』は、黒澤監督も描かなかった三つの家族の「赤い絆」を描く。  
 余命3ヶ月と告げられた36歳の女性が、離婚して一度は捨てた娘に残してあげられるものは? 

 『女王の教室』のラストで真矢は死ななかった。すでにこの『ラストプレゼント』で死に臨むヒロインを演じていたので、同じような結末を避けたのかもしれない。しかし暗黒面に落ちる前の真矢(つまりダースベーダーのエピソード1)のキャラは、たぶんこの明日香みたいな、明るく活発な、そして少々わがままで不器用な(?)女性だったのかも。そのどちらも天海祐希のイメージにピッタリ来るのがスゴイ。

娘役に進藤ひかる役の福田麻由子、父役に天童しおりの父役の平泉成が演じているのも真矢の前世? しかし死がテーマの連ドラはさすがに気分が重くなる。深刻な場面の合い間に、あだち充『タッチ』風の軽いユーモアが挿入されて、泣いたり笑ったりで忙しい。

[以下ネタばれ。見てから読むべし!]

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ハルとナツ―届かなかった手紙

――引き裂かれた姉妹は「二つの日本」を象徴。平成版『おしん』あの感動よ再び。

まずは豪華な女優陣。
「女王の教室」の志田未来は、教育委員会の刺客・根岸季衣にいじめられ?家を飛び出して「ごくせん」仲間由紀恵に成長し、「トリック」の野際陽子へとつながる・・・
斉藤奈々は初めて名前を知ったが、確かどこかで見ているはず・・・今後要チェック!
「宮本武蔵」では、武蔵を愛した米倉涼子と小次郎を愛した仲間由紀恵・・・
そして「渡る世間は鬼ばかり」の森光子に、泉ピン子と野村昭子が友情出演。
男優陣もよかった。村田雄浩、斉藤洋介、井川比佐志そして柄本明・・・

これは橋田壽賀子の名作『おしん』の平成版である。
ハルが孫を連れて故郷に帰る導入部。
ぶらじる丸でのハルとナツが引き裂かれるシーンは、イカダの別れのシーンを思い出す。
ナツが辛い奉公先を出て、その後恩人とめぐり合い、そこで仕事を教わりながら事業を興し、成功して行く。しかしその事業もやがて曲がり角にさしかかり、息子と衝突してもう一度原点に戻ろうとする。
このように類似点が多いが、この作品を批判するつもりはない。後で述べよう。

さてブラジルに渡ったハルたちは、泥にまみれ、貧乏と戦いながら、自分たちの土地を耕してゆく。
そして日本人である誇りを忘れることなく、それを支えに生きてきた。
何をするにも家族が大事。農場を抜け出す時も、結婚する時もいつでもそうだ。ハル自身の結婚も父に反対されたが、ハルも息子の結婚相手がブラジル人であることに最初は反対した。(自分が受けた苦しみの仕返し?)家族の和を乱すことを嫌ったのだ。しかし最後は大家族に恵まれていく。

一方、日本に一人残されたナツは、家族から捨てられたという思いを持ちつつも、恩人から学んだ牛乳作りを軸に、やがて大きな会社へと育てていく。彼女は家族というシガラミ(あるいは日本人というアイデンティティ?)がないだけに、何でも実利的に行動できた。本家を飛び出したり、アメリカ人と一緒になろうとしたり、営業手腕のある男を夫としたり・・・とにかく生きていくために一番いい方法を選ぶしかなかったのだ。

しかし皮肉なことに、家族愛に恵まれなかったナツは、苦労して育てたはずの息子たちにすねをかじられ続け、結局会社も家庭も全てを捨てるはめになった。なんだか戦後日本の行き詰まりを象徴しているようだ。そんな中、突然姉ハルが訪ねて来ることで、ナツは今までの人生を清算し、今度はハルが息子たちを置き去りにして(自分が受けた苦しみの仕返し?)、70年前に行くはずだったブラジルに渡る決意をするのだった。

二人の姉妹はどちらも大変な苦労をし、大きな成果をつかみ取るのだが、生き方が実に対照的だ。ハルは戦前の日本人の生き方を、ナツは戦後の日本人の生き方を、典型的に表わしている。もしかしたら村田雄浩扮する忠治がナツの生き様を見たら、「この売国奴!」とか言って家の中に入れなかったかもしれない。それくらい生き方が違ってしまっている。

このまま見ると、戦後の日本が全否定されているようにも思えるが、決してそうではないだろう。
『おしん』から20年。日本はバブル崩壊を経て、繁栄の「豊かさ」と「むなしさ」を知っている。今こそもう一度『おしん』の精神に戻ろう、忘れてしまった日本人の誇りを取り戻そう。そういうメッセージなのだろう。それはそれで素直に受けようと思う。

ブラジル移民の方々のことは、こんなご苦労があったなんて、ほとんど何も知らなかった。
ブラジルに渡ったハルたちは、いわば日本の「分家」。ちょうどドラマの中の本家の人間みたいに、私たちは分家の人たちに冷たすぎたのかも。
海外から働きに来た外国人への差別ももちろんいけないことだ。
いろいろな事を考えさせられてしまう。

原作:橋田壽賀子 出演:上記参照
(2005年.NHK)

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女王の教室(最終話) 追記

――いい先生じゃなくてもいい。真矢は真矢のままでいいじゃん。それでも私は先生が好きです。(By和美、てへぇ。)

●いい教師? 悪い教師?
和美の夢オチ、由介のおばあちゃまの「もしかして先生の指導のおかげ?」、並木先生が見た真矢の部屋、教頭先生のあまりにも普通な授業?等のおかげで、どうやら真矢は「すばらしい先生」になってしまった。
でも真矢は自分のことを決して「すばらしい先生」だと思っていない。「悪い先生」だと自覚しているからこそ、必死になって子供たちの事を心配していたんだろう。だから和美の「本当はいい先生なんですよね?」という想定外の質問に「失礼な!」と感情的になったり、「仰げば尊し」には動揺して、目が宙を踊ってしまった。(あの驚いた表情は、鳥肌が立つくらい素晴らしかった!!)

先生がいいのか悪いのかなんて、もう野暮なことは言わないことにする。
だからラストシーンは、こうとも取れる。
「何があっても先生を辞めないんですよね?」
「当たり前です。」 (自分は悪い先生のままで、変える気は一切ありません)
「アロハってたくさん意味があるんですよ。・・・あと一つ何か知っています?」
「・・I LOVE YOU」(→和美が無理やり言わせたかった言葉。愛情確認)
「先生、アロハ!」
 (真矢は真矢のままでいいじゃん。それでも私は先生が好きです)
「・・・」(私もあなたたちが好きなのよ!)
第9話で和美がしおり先生に言った言葉通りでいいと思う。
皮肉なのは、「シオリちゃんはシオリちゃん」でなくなったこと・・・

●どうして勉強するのか? 勉強の成績で進学や会社や幸福までが決められてしまうのか?
やはり脚本の中で阿久津先生にきちんと言わせてほしかった。
先生は皮肉や遠まわしの表現、矛盾した内容が多いので、あれだけの説明で本当に納得したのだろうか?せめてあの場で本当に言いたいことをもっとわかるように言うべきだった。そうでないと、子供たちがまた騙されて「真矢のいいなり」になったように見えてしまう。
しかし「何でも先生のせい」にしてしまうのは能がないので、自分なりに解答例を考えてみた。
以下、蛇足だと思いつつ、書き連ねてみる。

「残念だわね。世の中は平等じゃないのよ。イメージできる? 昔は生まれつき身分が決まっていて、仕事なんか選べなかったのよ。今の世の中は、自由に仕事を選べるようになった。でもその代わり人一倍努力が必要なのです。漫画家しかり、サッカー選手しかり、努力しなくて他の人を感動させることができると思う?自分でやりたい事をやるには、周りの人を説得して、自分で責任を持ちなさい。」

「勉強は本来したいと思うものです。新しいことを見て、聞いて、感動する。それが本来の人間の姿です。大人になって知ったかぶりしている人が多いけど、いくつになっても勉強はしていくものなのです。あなたたちはその基礎を学んでいるの。漫画家になるにも算数や理科や医学の知識だって必要になるのよ。サッカー選手だって同じこと」

「そうね、たしかに勉強の成績だけで会社を決められてしまうのは変だと思うかもしれない。でもあなたが好きな会社を選べるように、会社の人もあなたを選ぶかどうか決める権利があるのよ。もしあなたが社長だったら、きちんと努力して成果を出せる人の方を選ぶわよね。試験はその一つの手段にすぎないけどね。」

「社会で優遇されている人は6%しかいません(←本当かどうかは知りません)。そういう人になるには、人一倍努力して競争社会に勝たなければなりません。でも6%の人だけが幸せかどうかは、先生にはわかりません。そんな先のことを心配するよりも今必要なことをやりなさい。今やるべき事をおろそかにする人は決して幸せになれません。」

「学校はテストをするだけの所ではありません。受験の技術を学ぶだけだったら塾だけで十分です。学校は社会に出て必要なことを学ぶところです。規則も大事、雑用も大事、友達も大事、みんなで力を合わせて何かをやりとげる事も大事。何も考えずに大人の言うことを聞くのは止めなさい。人の痛みをわかりなさい。自分だけ良ければいいと言う人にはならないでください。でももう、みんなはとっくにわかっているはずよね?」

脚本:遊川和彦
主演:天海祐希、志田未来
(2005年。日本テレビ系)

[関連作品]

女王の教室 スペシャル
ラストプレゼント―娘と生きる最後の夏

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女王の教室(最終話)

――続編よりは『女王の会社』『女王の国会』を作って欲しい。目覚めなさい、大人たち!

感動の最終回だった。最後はどうなるのかと、毎回楽しみだったが、期待を裏切らなかった。
途中も名場面、名ゼリフが一杯で、思わず涙が出てしまった。子供たちの明るさと力強さと演技力に感心。日テレのホームページの掲示板にも、毎日子供たちの頼もしい感想が書かれていて、楽しませてもらった。今度いい加減目覚めなければいけないのは、大人たちの番ではないだろうか?

前回書いた感想は、5話が終わって和美が由介との仲を取り戻し、真矢に立ち向かい始めたところ。真矢がいい先生なんて、まだ誰も思わなかったし、ドラマを止めろという意見も多かった頃だ。私は真矢の言うことは正しいこともあるのだが、間違いもたくさんあると書いた。
その感想は、残念ながら最終回が終わっても変わらない。

◎子供たちを目覚めさせるためと言っても、由介の家庭の事を公表したり、和美を孤立させたり、恵利花を追い詰めたり、私立組と公立組でケンカさせたり・・・そういう方法が正しいとは思わない。
◎「テストの成績で決めるのはおかしいです」と意見すると「要するに勉強したくないだけなのね」とはぐらかす。「そんなこと言っていません」とひかるが反論するのは正しい。
◎「なんで勉強するのですか」の質問に「勉強はしたいと思うものです」と答えたが、それならばどうして勉強の成績で進学や会社や幸福までが決められてしまうのか、という子供の根本的な質問に答えていない。子供は現実を知りたいのに真矢の理想はこうだと言ったり、子供が理想を言えば現実はこうなのよと答える。現実と理想が混在した、「要するに」真矢に都合のいい答えになってしまっている。
◎「私があなたたちにした以上のヒドイことは世の中にいくらでもある」という言葉には、真矢自身もヒドイことをしたという自覚はあるようだけど、教育のためならば、結果がよければ何でもアリなのか?

こうした疑問をドラマでは答えてくれなかった(それくらい自分で考えなさい!)。
真矢の指導(作戦?)通りに行き、みんなが明るく素直な子供になれたのは子供たち自身が負けないでがんばったからであり、単純に真矢が一番正しくて、他の天童先生たちが間違っているとは思わない。
でも私は十分満足だった。このドラマは問題提起がしっかりされていて、解決のヒントもたくさんある。
あとは私たち自身が教室で先生や同級生と話し合ったり、家で両親や兄弟と話し合ったりすればいい。

真矢自身も「自分が間違っているとは思いません」が、「自分を素晴らしい教師だと思ったことなんか一度もありません。どんな教師が素晴らしいのかも、まだわからない」と言っている。いつも完璧でありたい、自分の信念を通したい、だから子供たちから嫌われてもいい。いい先生だと思われるのも実は嫌なのだ。子供たちに「仰げば尊し」を歌われた時に素直に子供たちの前で泣いたって良かったのでは? 人に弱みを見せたくない、本当は弱い大人なんだ? きっと真矢の教育に何かが足りないからだと思う。

大人も完璧ではない。和美の母だって、真矢だって子供から教わることはあるんだ。
ラストシーンで真矢は、和美に「アロハ」の3つ目の意味を聞かれてぶっきら棒に「アイラブユー」と答える。和美はうれしそうに「アロハ」と挨拶をして立ち去る。和美は先生の本心を知りたかったが答えてくれない。せめて無理やりでも「アイラブユー」と言わせて、本当は自分たちを愛してくれた「いい先生」だったと確認したかったのだ。そして今度こそ真矢は和美の後ろ姿に「アロハ」と言ったのだった。

脚本:遊川和彦
主演:天海祐希、志田未来
(2005年。日本テレビ系)

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